内藤伸(ないとうしん)
内藤伸は1882年10月に島根県飯石郡で生まれました。
商家の息子として生まれるものの、
幼い頃から彫刻家について興味を持ち
上京した後は日本の彫刻に
西洋彫刻の写実性を持ちこんだ高村光雲から教わります。
1901年には東京美術学校彫刻選科へ入りますが
3年後には勉学の苦しさの為に中退。
その後、文展へ出品して入選作に選ばれたほか
戦時中には入隊し、所属していた
歩兵第21連隊と縁の深い北白川宮能久親王の
製作の依頼を受けるなどしました。
やがて30代になると日本美術院の同人となり、
その翌年から再興院展での
作品の出品を重ねていきます。
1924年には第5回帝国美術院展覧会において
『田のもの畑のもの』が初入選となり、
以降帝国美術院展覧会で活躍を見せていきました。
1927年に帝国美術院会員となり
1931年に日本木彫会を設立、及び中心人物となります。
1929年には日本木彫会を設立し
1967年8月、84歳でこの世を去りました。
他の代表作としては『光明皇后』や
『山上』、『獅子』などがあります。
作風
内藤伸は一つ刀を入れる度に念を込める
『気刀彫』の技法を提案した事で知られています。
作風としては新古典主義とも言われ
ロマン溢れる作風として作り上げています。
なおスケールの大きな作品が多いとも言われています。
日本木彫会
内藤伸は日本木彫会を立ち上げた際
彩色を試みています。
1961年に立ち上げた際の理念の為に
約30年間の活動を終わらせています。
またその間の1952年には、内藤伸自身によって
日本木彫会を再興させており
並々ならぬ思いがあった事が伺えます。
なお現在は日本木彫刻協会と言う団体が
2013年に結成されています。
日本木彫刻協会の発足理由としては
後継者が少ない事としており
内藤伸が日本木彫会を立ち上げたように
今一度日本における木彫りの地位向上が
必要となっています。
北白川宮能久親王の立像について
北白川宮能久親王は幕末と明治時代に活躍した
皇族・軍人です。
北白川宮能久親王自身が端正な顔立ちであり
内藤伸は優れた技術力で
気品の高い木造として製作しています。
しかし北白川宮能久親王の立像は
島根県浜田市の石見小学校にて
戦後ずさんな扱いで預けられており
その現状を把握した浜田市の名誉市民となる
市長の俵三九郎が、自ら内藤伸に修復を依頼しました。
内藤伸は丁寧にその依頼を行ったとの事ですが
戦中と戦後の軍人の扱いが感じられますし、
内藤伸の職人としての責任の強さも感じられる
エピソードだと思います。
なお北白川宮能久親王の立像は、
現在浜田市指定文化財として
浜田郷土資料館に保管されています。
後世に残る作品を作り続けた内藤伸
一度高村光雲の下で学んだにもかかわらず
東京美術学校彫刻選科を勉学の苦しさの為に中退した
と言うのは、それほど内藤伸にとっては
苦痛であった事が伺えます。
しかし中退後は戦争に駆り出されると
苦難の時代は続いていきます。
それでもなお内藤伸は
高い技術力で後世に残る作品を作り続けました。
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