田中忠雄(たなかただお)
田中忠雄は1903年11月に
北海道札幌市で生まれました。
牧師である父の影響もあり、後に作る作品の多くは
聖書をモチーフにしたものとなっています。
また1920年に教会での洗礼を経てから
その翌年に京都高等工芸学校図案科へ入学。
しかし油絵の方に興味を持ち、
段々と油絵での作品作りにシフトします。
なお経歴を代表するものの一つとしては
京都高等工芸学校図案科を出た後に
洋画家ギュスターヴ・クールベの
写実主義に影響を受けた前田寛治が開く、
写実研究所に入る事が取り上げられます。
1925年に務めていた東京市技手を退職し
同年6月に第2回白日展において出品した『静物』と
『ゑびすの風景』で初入選となります。
その後も作品出展を重ね続け、1930年にフランスで学び
帰国した後は二科会会員となります。
1945年には行動美術協会の立ち上げに加わり、
1958年には武蔵野美術学校講師となるなど
後進の指導を務め
1995年4月、92歳で息を引き取りました。
なおストンドグラスの作品も残されています。
作風
田中忠雄の作品は前述の通り
聖書をモチーフにしたものが多く、
日本における戦後の具象絵画の代表的存在となりました。
またそれは単に聖書の世界を描いているのではなく
第二次大戦終結後にアメリカによって支配された日本を
古代のローマ帝国の支配下となったエルサレムに
重ね合わせていると言われています。
なお聖書をモチーフとしてしない作品でも
労働者達の姿を描いた作品や、ウィリアムズ.S.クラークと
生徒の別れを描いた『島松での別離』などを見ると
聖書と言うより人々に
フォーカスを当てている印象を受けます。
なおシンプルなタッチで原色を多く使いながらも
物語性の見える構図で作品を描いてる点も、
田中忠雄の特徴として取り上げられています。
戦後の絵画について
まず具象絵画とは、モチーフとしているものを
大胆な抽象的表現する事なく描いた作品を指します。
一方で、内面性を表現している傾向も見られる
とも考えられます。
大きな戦争が終了した直後の具象絵画は
時代に対する批判性なども描いていますが、
日本の第二次大戦終了直後の絵画は
具象と言うものにこだわらず、
様々な内容で描かれているように感じます。
それは田中忠雄の描く、聖書をモチーフとしながら
日本人の内面性も表されたものであったり
別の作家である風景画であったり
総じて今後の日本をどう創っていくかが
根本に込められている気がします。
長年日本を見つめてきた田中忠雄
田中忠雄は生涯に渡って戦前から戦争終結直後
そしてバブルに沸く時代などを
見つめてきた作家であるともいえます。
作品制作に限らずそう言った視点を含めて
後進の作家に作品制作を教えてきたと思います。
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