細川宗英(ほそかわむねひで)
細川宗英は1930年7月に長野県松本市で生まれました。
その後、上京し東京芸術大学彫刻科に進むと
在学中は戦後における具象彫刻を代表する人物になった
菊池一雄から学んでいます。
1954年に東京芸術大学彫刻科を卒業しますが
同時に専攻科へ進学。
第19回新制作派協会展においては
出品した『トルソO』や『鳥になる女』が
初入選となりました。
やがて20代後半には若手の彫刻作家の集まりでもあり
勢いのある作品制作を目的とした
棕櫚会を立ち上げます。
また、活動においては細川宗英の場合
戦前では使われていなかった
セメントの素材に注目していました。
1958年、新制作派協会で作品を出品し続けた関係で
新制作協会会員となり、その7年後の1965年の
第1回現代日本彫刻展ではU氏賞を獲得しています。
そして38歳の頃に文化庁派遣在外研修員となると
アメリカに渡り、マヤ文明の歴史を学ぶことで
自身の作品についての考えを
強固なものにしていきました。
1972年には『道元』によって
第3回中原悌二郎賞優秀賞を受賞。
以降も活躍を続け1994年4月
64歳の時に息を引き取りました。
作風
細川宗英は活動初期から
その才能は注目されていますが
それは作品から作者自身の考えが読み取れる所にも
起因していると思われます。
作品のモチーフはとにかく多く、
1964年に新制作展で出品した
日本的なものをモチーフの出発点とした
「装飾古墳」シリーズ。
1972年に中原悌次郎賞を受賞した
鎌倉室町の頂相彫刻を元にした「道元」シリーズ。
またアメリカから帰った後に発表した
人間の内面を大胆に表現した
「男と女」や「王と王妃」のシリーズなど
様々な作品を描いていますが、一貫して
代わりゆく人とモノを表現しています。
実際に細川宗英自身が
「時の流れで変わっても、それを肯定した上で
作品として残り続ける所に意味がある」
と言った趣旨の発言をしており、
人間の生について残していく思いが
作品を通して感じられます。
マヤ文明について
紀元前後から始まった文明です。
裁判所や市場と言った
現在の世界でも機能している施設が作られたり、
天文学や暦や建物なども造られ
形を変えながら隆盛を極めましたが
16世紀頃になると突然滅んでしまいます。
細川宗英はそう言った所からも
作品哲学として影響を受けたことは
容易に想像できます。
生について強く訴えた細川宗英
細川宗英の考えについて学び、改めて作品を見ると
平和とはまた違う印象を受けます。
造形的に美しくもあれば生々しくもあると
恐ろしい雰囲気さえ感じられます。
作品は長野県にある諏訪市美術館で
常設展示コーナーで見られます。
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