三岸節子(みぎしせつこ)
三岸節子は1905年1月に
愛知県中島郡で生まれました。
その後16歳で上京すると、
女性像を描いた洋画を得意とし、後進の教育にも
力を入れていた岡田三郎助を師に持ちます。
その翌年には女子美術学校へ入学し
主席で卒業しました。
卒業した同年には、洋画家で繊細な作風で
洋画界に新風を巻き起こした三岸好太郎と
結婚を果たします。
さらに春陽会や新制作派協会などの美術団体にも
積極的に参加しました。
中でも独立美術協会では第14回展において
『金魚』が文部省に購入されると言った活躍を見せ
1947年には女流画家協会の立ち上げに加わります。
1951年には『梔子』で芸術選奨となり、
49歳の時にはヨーロッパへ渡り、
以降はそこでの風景画を多く手掛けました。
それから30年以上ヨーロッパに滞在し
制作活動を行っています。
やがて80代半ば頃に帰国し、1994年、89歳で
文化功労者として認められました。
その5年後、1999年に息を引き取っています。
作風
三岸節子の作品は、一通りではなく
いくつかの描き方で描かれています。
複数の視点から見た対象物を、
一つのキャンバスに描き上げるキュビスムや
夢の中にあるような深層心理の部分を表現した
シュールレアリスムなど、
いくつかの画法が伺えますが、最終的には
比較的明るい色合いで
対象を具対的に描いていく方向に移行しました。
しかしどの時期の作品にも、自身の中にある
その時の対象物に対しての熱情を、
骨太なタッチで描くと言う共通点が
作品に表れています。
関わった団体
■女流画家協会
1947年に三岸節子の他に、
『聴音』や『麗日』などが知られている森田元子。
『ゴンベとカラス』『おざしきの人々』などで
有名な桂ゆき。
情熱をぶつけた作品を活動終盤まで発表した
桜井浜江など、11人の女性画家で結成されました。
新人の発掘の場として創られ、
現在も幅広い世代の作家が活躍しています。
■春陽会
1920年に日本美術院洋画部から抜けた、
登山家としても活躍していた足立源一郎。
歌舞伎を描いた作品が有名な長谷川昇。
太平洋画会会員としても知られている
倉田白羊などで結成されました。
激動の人生を歩んだ三岸節子
三岸節子は夫である三岸好太郎を
画家として尊敬はしていましたが、
奔放な性格をした夫を支えるのは
自身を追い込むことにもなったと言われています。
なお三岸好太郎は三岸節子が29歳の時に
亡くなってしまい、それから節子は
洋画家の菅野圭介と再婚を果たしてから
離婚をし、南フランスへ渡りました。
こう言った人生を大きく左右させる
と言っても過言でない、パートナーとの
出会いや別れなどを経験する中、
三岸節子は自らの感性を磨き、
作品を発表してきました。
その激動の人生を歩んだ三岸節子の作品は
現在愛知県一宮市にある
一宮市三岸節子記念美術館で見られます。
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