萩原守衛(おぎわらもりえ)
萩原守衛(本名:守衛)は1879年12月に
長野県南安曇郡に生まれました。
そして18歳の頃には、心臓病にかかり、
またキリスト教についても深く学び、
親友で先輩の相馬愛蔵の妻である黒光に惹かれ
後の作品作りに影響されるなど、
多くの出来事を一年の内に体験します。
これを機に先輩の家で画家を志す事を決意すると、
1901年にアメリカへ渡り、アルバイトと並行して
西洋画を学びました。
これを通して、荻原は骨格や筋肉の動きに
注目するようになります。
そして3年後の1904年に、パリにて
オーギュスト・ロダンの『考える人』を鑑賞したことで
彫刻家として道を歩む事を考え直しました。
そしてオーギュスト・ロダン本人からも
手ほどきを受けます。
こうして1908年、29歳で日本に帰ると
文部省美術展覧会や太平洋画会において活躍を見せ、
1910年に31歳の若さで息を引き取りました。
作風
萩原守衛の作品はマッス(塊と言う意味)感があり、
また生命力に溢れているのが特徴と言われています。
この世を去った後には、第4回文部省美術展覧会において
遺作である『女』が評価されました。
その作品は自身が愛した
相馬黒光への思いが込められています。
なおその『女』の発表前には、1908年に出した
愛する人のために殺人を犯し、出家した
真言宗の僧を描いた『文覚』。
その翌年には先輩の妻と言う相馬黒光に対する思いを
ダイレクトに表現した『デスペア』などがあります。
なお『デスペア』はロダンの作品を
テーマにある事が指摘されており、
またこれら2つの作品の制作の経験が
『女』に活きているとも言われています。
相馬黒光を中心とした三人の関係性
相馬愛蔵は1870年10月に生まれ、1901年に
上京すると共にパン屋中村屋を創立した実業家です。
妻となる黒光とは1896年に結婚し、
その美しい見た目と知性から
多くの芸術家と繋りを持っています。
1909年に新宿に店を移したり、
他の分野の経営に手を出すなど
中村屋は成功を見せますが、その裏では他の実業家など
黒光が芸術家以外の人達をも虜にしてきたのは
十分に考えられます。
他に相馬黒光はキリスト教徒でもあるなど、
芸術家を志していた萩原守衛との共通点が多く、
実際に萩原守衛とも仲良くなりますが二人は心の交流に
不一致もあったと言われています。
相馬愛蔵と相馬黒光が最後は萩原守衛について
どう思っていたかは定かではありませんが、
萩原守衛は31歳の若さで亡くなり、
一方相馬愛蔵は84年間。
相馬黒光は79年間生きました。
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