後藤一乗は、1791年に
京都室町町頭木下町で生まれました。
母は二条家家臣の野間氏の家系だった
といわれています。
やがて後藤一乗は、1800年に京都の分家である
後藤八郎兵衛謙乗の養子となり、
八郎兵衛家第6当主となりました。
そこで大判の墨書書改や分銅制作に
従事していました。
そして30代の頃には光格天皇の正宗の刀装具を制作
その功績により、当時優れた芸術家に与えられた
僧位の内のひとつ、法橋に叙されています。
その後1851年からは江戸幕府の依頼で
10年ほど刀装具の制作に従事しました。
これにより第13第将軍徳川家定に
謁見する名誉も受けています。
やがて1862年に朝廷の命により帰京し
孝明天皇の刀装具を制作することになり
法眼に叙されました。
また、一乗細工所の経営を始め
多くの弟子たちを育てています。
維新後は、京都府知事、勧業場御用掛などにも就き
阿弥陀来迎図の揃物、石橋図鐔、
吉野龍田図大小揃金具などが有名です。
後藤家はもともと「家彫」などで
刀装具では格式が高く高名でしたが、
江戸中期頃になると形式主義に陥り
斬新な表現や素材を用いた
「町彫」の横谷派、奈良派などの台頭もあり
沈滞する時期がありました。
そこで、後藤一乗は、余白を巧みに用いた風景や
絵画的な表現の文様で新境地を開拓し
隆盛を極めたのです。
中でも朝廷から依頼を受けた刀装具は、
禁裏御用と協力して武家の刀装具に加えて公
家文化を融合させ、豪華で格調高い作品を
制作しました。
また、後藤一乗は和歌や俳諧、絵画にも長けていて
文化人であったと言われています。
そうした教養も作品に大きな影響を与えており
洒落や歌などを作品に取り入れたりしていました。
また、後藤一乗は伝統に縛られることなく
常に新しいことにも挑戦しています。
後藤家では伝統的に
金と赤銅以外の地金を使用することは
禁止されていましたが、
後藤一乗は鉄地の鍔なども制作しています。
しかし、鉄を使用した作品には
伯応や凸凹山人などの銘を使用していました。
後藤一乗は素晴らしい作品をたくさん残しましたが
優れた弟子の育成にも熱心でした。
船田一琴、今井永武、荒木東明、橋本一至、
和田一真、後藤光来など
優秀な弟子を育てています。
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