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2019.07.26
骨董品

難波田龍起【洋画家】

難波田龍起(なんばたたつおき)

 

難波田龍起は1905年8月に北海道で生まれますが

 

父の仕事の関係で東京へ引っ越します。

 

そして1923年9月に起こった関東大震災をきっかけに

 

詩人で彫刻家でもある高村光太郎と出会い

 

また早稲田第一高等学院に在学中に

 

高村光太郎から教わるなど、

 

以後生涯を通した仲となりました。

 

1927年には通っていた早稲田大学政経学部を辞め

 

太平洋画会研究所に足を運ぶようになります。

 

とは言えその次の年には高村光太郎を通して、

 

日本美術展覧会で水墨調の作品で活躍した

 

川島理一郎と知り合った事がきっかけで

 

金曜会へと入りました。

 

やがて24歳の時には第4回国画会展において初入選。

 

以降コンスタントに作品を発表していきながら

 

1935年には窪田栄や吉見庄助たちと共に

 

フォルムを立ち上げたり、また1937年に

 

自由美術家協会に参加したり、

 

翌年には金本澄江との結婚を果たすなど

 

仲間を増やしていきました。

 

 

 

作風

 

難波田龍起の作品は欧州地方などで始まった

 

抽象絵画運動のアンフォルメルのテイストを

 

全面に出した作風が特徴です。

 

また詩人の高村光太郎を師に持った事もあってか

 

生命力をリズミカルな線で描いている作品が

 

多いことでも知られています。

 

そして氏の作風にも変化があり、

 

戦時中は古代ローマやギリシャを

 

意識した作風でしたが、

 

戦後からリズミカルな抽象絵画のタッチが目立ち

 

やがて青や茶色を全面に打ち出した作風へと

 

変化していきました。

 

 

 

太平洋画会研究所について

 

1902年の最初の展覧会から、

 

洋画や彫刻の作家達が募る

 

最も古いと言われている美術組織です。

 

主に明治美術会の元メンバーと

 

新帰朝者で構成されています。

 

第一回展は上野で開催され

 

その後も展覧会もフランスから帰国した洋画家たちが

 

多く出品しました。

 

やがて「太平洋美術会」と改名し

 

1975年には社団法人化しています。

 

 

 

自由美術家協会

 

1937年に理論家でもある洋画家の

 

長谷川三郎を起点に、集まった作家集団です。

 

前衛美術の認知を目的にしており

 

他には日本における抽象絵画の代表的存在である

 

長谷川三郎や、東京芸術大学で教えるようになる

 

山口薫などがいます。