岡本太郎は1911年、神奈川県で生まれました。
父は『探訪画趣』が評判を呼び、
世相風俗漫画家として活躍した岡本一平。
母は歌人でもあり小説家でもある
『愛のなやみ』や『生々流転』で知られている
岡本かの子として知られています。
岡本太郎は幼い頃から作品を描き始め
14歳の頃にはボートレースの試合に敗れた悔しさを描いた
と言う『敗惨の歎き』を制作しました。
やがて慶應義塾普通部を卒業すると同時に
東京美術学校西洋画科へ入学。
1930年にはパリへ家族と共に渡り、
両親は仕事でロンドンへと行きますが
岡本太郎は留学の為パリに滞在することを決めます。
そして留学中は哲学や社会学、文化人類学や
民俗学について学びました。
29歳の時には第2次世界大戦の影響で帰国し
翌年に二科会へ入会。
また、第2次世界大戦についての対抗意識を記した
『復興期の精神』や『錯乱の論理』
などが知られている花田清輝。
思想犯として捕まえられた頃の記憶を綴った
『真空地帯』が有名な、小説家の野間宏達と共に
前衛芸術を促す運動を行う「夜の会」
を結成しています。
そのほか縄文土器など日本の伝統文化や
風俗についても研究し、絵画のみならず
彫刻や舞台も手掛けるなど、その作品は多岐に渡ります。
そして1970年、59歳の時に
大阪での万国博覧会のためのモニュメント
『太陽の塔』を発表。
やがて85歳でこの世を去りました。
岡本太郎の作品は原色を多めに使った
奇抜なデザインである事が知られています。
絵画作品としても1936年発表の『痛ましき腕』や
1947年公開の『夜』。
1950年の『森の掟』など、様々な作品がありますが
どれも画面のこちら側に飛び出してきそうな
迫力があります。
また、岡本の絵画作品は一つの対象物を
多角的な目線で描いた、キュビスムの一つとしても
捉えられています。
とは言え岡本自身の書いた書籍
『今日の芸術―時代を創造するものは誰か』にて、
今日を生きる喜びを爆発として表現する
と言う旨が書かれているので、こう言った作品は
その今日を生きるを表現した故の結果と考えられます。
岡本太郎は写真作品も発表しています。
こちらは奇抜な絵画や立体物とは違い
一定のアングルや露出などで
対象物を忠実に撮る事を重視しています。
氏はパリ留学中に写真集『夜のパリ』が知られている
詩人や彫刻家でもあるブラッサイや、
戦場写真家として大成したロバート・キャパから
教えを受けています。
なおそう言った経験を経て「写真は記録性を重視する」
と言う発言の旨を残しています。
岡本太郎は1956年に
『日本の伝統』と言う書籍を発表しています。
そこでは自身の関心のある日本の伝統文化について
詳しく触れながら、独自の考えも展開しました。
その考えは読者間の指摘だと
『日本は今までの文化に捕らわれている』と
強く批判する内容だとも言われています。
このように岡本太郎の絵画や
オブジェをはじめとした作品は
奇抜で、生きる喜びを表現したものであるだけではなく
メッセージ性も感じられます。
中でも『太陽の塔』は岡本太郎の集大成でもあります。
『太陽の塔』は背中にあったのですが
現在も行方不明となっているものも含めて、
全部で4つの顔があります。
その4つの顔で古い文化を肯定しながらも
資本主義と科学推進でこのまま日本は息苦しくなる
と言うメッセージ性を表現しているようです。
日本文化や写真撮影を通して対象物を真剣に見つめ
そしてそれを踏まえた上での今に向けてのメッセージは
現在を生きる私達にも強く訴えかけています。
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