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2019.07.05
骨董品

横山大観【帝室技芸員/日本画】

横山大観(よこやまたいかん)

 

横山大観(本名:秀麿)は1868年9月に

 

茨城県の水戸市藩士の長男として生まれます。

 

その後21歳のときに東京美術学校に

 

第1回生として入学し、

 

思想家でもある校長の岡倉天心や

 

ダイナミックな展開で知られている

 

日本画の橋本雅邦の下で学びました。

 

1893年に東京美術学校を卒業すると

 

その3年後には助教授となりますが、

 

内部対立の影響でさらに3年後に

 

岡倉天心と共に辞任しています。

 

また同時に、岡倉天心と共に

 

日本美術院の立ち上げにも関わりました。

 

やがて横山大観が40代半ばの頃に

 

岡倉天心は亡くってしまいましたが、

 

横山はその翌年の1914年には日本美術院を再興しています。

 

以降も近代日本画を代表する作家として活躍し

 

1931年、63歳のときには帝室技芸員に認定されました。

 

代表作は『夜桜』や『生々流転』、

 

『或る日の太平洋』などがあります。

 

 

 

■作品の特徴

 

横山大観は菱田春草(ひしだしゅんそう)と共に

 

朦朧体の技法を近代日本画に使い、

 

新たなスタンダードとなった事が特長と言われています。

 

しかしそれは初期の作品の特長で

 

その後は水墨画を主な媒体手段して、

 

東洋的理想主義を掲げている事で知られています。

 

 

 

■横山大観自身と作品についての背景

 

菱田春草

 

長野県飯田市出身の日本画家です。

 

朦朧体によって、光線や空間を

 

作品内に取り入れる試みもしています。

 

代表作には黒き猫や落葉などがあります。

 

ちなみに1903年には岡倉天心の提案で横山大観と一緒に

 

インドへ渡り、共に美術について学んだ経験もあります。

 

東洋的理想主義

 

岡倉天心により発案された考えです。

 

本来の日本の文化は儒教や道教、仏教などから

 

精神を学び形作られてきたので、それを

 

前面に押し出すべきと言った思想内容になっています。

 

その為か、対象の物事をよく観察した上で

 

そこにある感情などをあぶり出すとしています。

 

日本美術院

 

横山大観や岡倉天心、橋本雅邦など

 

東京美術学校出身者を中心に立ち上がった団体です。

 

経営難や岡倉天心の渡米もあって

 

何度もピンチを迎えていますが、

 

横山大観が再興に大きく貢献しました。

 

 

 

■朦朧体

 

空気感や光線などを描くために、

 

輪郭をあえてぼかして描く手法の事です。

 

しかし時には非難の言葉として、

 

横山大観や菱田春草に向けても使われています。