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2019.06.20
骨董品

堆朱楊成【工芸作家/漆芸】

堆朱楊成(ついしゅようぜい)

 

室町時代から続く一門です。

 

初代は室町幕府2代目将軍である、

 

足利義詮の下で作品を作り続けた

 

長充(ちょうじゅう)という名の職人でした。

 

なお楊成の名前は、中国の元代を代表する作家の

 

張成と楊茂から来ています。

 

初代以降、堆朱楊成一門は現在まで続きます。

 

 

 

■堆朱楊成一門の代表的な経歴

 

初代の長充は生年月日や没年などが不明ですが、

 

足利義詮の為に堆朱を作り始めたのは

 

1360年からという資料が残っています。

 

初代の堆朱楊成以降も数多くの歴代将軍の下で

 

作品を創り続け、特に豊臣秀吉に仕えた7代目の長親は

 

難波彫と称されるほどの評価を得ました。

 

また8代目の長宗となると、青貝や厚貝などを使った

 

新たな作風が支持され、江戸を代表する一門として

 

堆朱楊成の名を知らしめました。

 

なお10代目の長是以降からは、徳川綱吉を始めとして

 

歴代の徳川将軍に仕えます。

 

その後は15代目の長蔭による偕楽園御庭塗りの

 

堆朱中央卓の製造や、18代目の国平による

 

日光東照宮の修復など、

 

国の一大計画を任せられていきました。

 

また19代目の経長は一時期、

 

名が途絶えていた堆朱楊成を復活させる事に成功し

 

21代目となる克彦が受け継いでいます。

 

 

 

■堆朱とは?

 

彫漆の一つで、塗り重ねた漆の上から

 

文様を付けるのは彫漆と同じですが、

 

朱や弁柄を使った朱漆を使うのが特徴です。

 

花鳥や人物などを描き、彫漆の派生系としては

 

堆黒や堆黄などもあります。

 

 

 

■足利義詮について

 

1330年に生まれた足利尊氏の三男でもある、

 

室町幕府二代目将軍です。

 

1331年に起こった元弘の乱が起こった際は

 

人質として扱われますが、

 

室町幕府を安定して繋げていった将軍として

 

評価されています。

 

 

 

■明治維新と堆朱楊成

 

堆朱楊成は一時期的に廃業していますが、

 

それは明治維新によるものと言われています。

 

明治維新は廃刀令などで武士の権威が消失しましたが

 

同時に経済混乱を引き起こしたと指摘されています。

 

また明治維新前後は大きな自然災害も相次ぎ

 

堆朱楊成の廃業はその影響もあったのでは

 

と考えられます。

 

 

 

■歴史の転換に対応してきた堆朱楊成

 

このように堆朱楊成は歴史の転換に

 

飲み込まれずに対応していった一門と言えます。

 

また名誉ある仕事も任せられている事から

 

これからも堆朱楊成の名は

 

続いていく事が考えられます。