洋画家の奥谷博は、1934年に
高知県幡多郡宿毛町に生まれました。
21歳の時に東京芸術大学美術学部油絵科に入学し
在学中には洋画家の林武に師事しています。
やがて1958年に独立美術協会展に
『埋玉』を出品して初入選を果たしました。
1963年に東京芸術大学美術学部専攻科を終了すると
翌年には独立美術協会第32回展に出品した
『雉子とサギ』、『トカゲと吹子』で
奨励賞を受賞しています。
この頃から奥谷は母校で壁画研究室の助手として
フレスコ画制作に従事し、奥谷博自身の作品も
厚塗りの画法から薄塗りの画法に
変化していきました。
その後、翌年の独立美術協会第33回展では
『針千本』、『桐の木の下』が
独立賞・須田賞を受賞し、32才の時には
愛知県立芸術大学の専任講師として
勤め始めました。
また、奥谷博は翌年に
文部省の芸術家在外研修制度で第1回在外研修員として
1年間フランス留学に出発します。
一時は帰国するものの、1971年に再び渡仏し
2年後に帰国しました。
以降も制作活動を続け、49歳の時には
芸術選奨文部大臣賞、
続けて第3回宮本三郎記念賞を受賞、
日本芸術院賞など、受賞作品を
次々と発表していきました。
そして2007年に文化功労者として認められ
2017年、83歳の時に文化勲章を受章しています。
奥谷博は抽象画の全盛であった風潮に迎合せず
一貫して具象画を描き続けました。
初期の厚塗りから薄塗り技法へと変換後、
鮮明な色使いで作品を発表しています。
また、2回の渡仏で日本人としての
新しい油彩画への取り組みにも挑戦し続け
その成果を作品で示しました。
「描くことは生きること」の言葉通りに
長年の制作活動で多くの作品を残しています。
奥谷博は風景画や静物画、人物画において
現代への激動の中で具象絵画の重鎮として
作品を発表し続け、
多くの受賞作品を生み出しました。
確かな画技で長年に渡り
洋画壇に多大な功績を残しています。