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2019.05.09
骨董品

片岡球子【文化勲章/日本画】

片岡球子(かたおかたまこ)

 

片岡球子は1905年1月に北海道札幌市で生まれます。

 

味噌や醤油、また木材などを扱う商家の長女として

 

誕生し21歳の時に女子美術専門学校を卒業するも

 

画家を目指すようになった片岡は

 

両親から繋りを絶たれました。

 

それでも尚、神奈川県横浜市で

 

大岡尋常小学校の教諭として働きながら画家活動を行い

 

1930年の日本美術院展覧会で出品した

 

『枇杷』で初入選を果たします。

 

その後も自身の腕を磨くことに打ち込み

 

41歳の時には安田靫彦に弟子入りし、それから

 

約5年後には彫刻家の山本豊市からも

 

彫刻のデッサンについて教えを受けました。

 

やがて1955年に女子美術大学の専任講師となり

 

1989年、84歳で日本画の分野において

 

文化勲章を受章しています。

 

 

 

作風と代表作及びモチーフについて

 

片岡球子の作品は、作品の型に当てはまらない

 

大胆な構図と色彩感覚が特徴です。

 

これらの作品は同じ画家から

 

ゲテモノと呼ばれるほど受け入れられず、

 

また落選を重ねてきました。

 

しかし日本画の巨匠である小林古径の励ましもあり

 

片岡球子は作風を変える事無く、

 

文化勲章受章までのぼりつめています。

 

 

 

■代表作の面構について

 

片岡球子の代表作として

 

まず最初に取り上げる事が出来るのが、

 

1966年に制作を開始させた連作の『面構』です。

 

第39回日本美術院展覧会で発表した

 

『歌舞伎南蛮寺門前所見』から、その作品には

 

伝統芸能のモチーフが前面に出てきている

 

と言われていますが、

 

『面構』では浮世絵師や戦国武将、

 

戯作者などか登場します。

 

それはこれらの人物がもし現代で活躍していたら?

 

と言う独自の発想で、迫力を持って描かれています。

 

 

 

■人物画

 

また片岡球子は人物画も有名です。

 

モチーフとなる人物を丁寧に観察し、

 

特に1980年代からは

 

裸婦をライフワークとして描いていきました。

 

 

 

繋がりのある人物

 

■安田靫彦

 

紫紅会の一人として知られている画家です。

 

大和絵をベースとしながらも

 

緻密な時代考証も行った作品群は

 

新日本画の一つと数えられ、

 

また新古典主義とも言われています。

 

なお日本美術院の再興も行っています。

 

 

 

■山本豊市

 

新樹会のメンバーの一人です。

 

乾漆彫刻がよく知られていますが、

 

乾漆も使った作品群も有名です。

 

代表作は『トルソ』や『女』などです。

 

 

 

■小林古径

 

日本画家で、安田靫彦や前田青邨に並ぶ

 

日本美術院の三羽ガラスと数えられています。

 

日本画をベースとした新古典様式が有名です。

 

 

 

作風を貫き通した片岡球子

 

片岡球子の作品がゲテモノと言われていた頃、

 

自殺願望が出るほど

 

精神的に追い込まれていたようです。

 

しかし小林古径から

 

「ゲテモノと本物は紙一重。だから頑張りなさい」

 

と励まされました。

 

そしてその作品が本物と認定されたのは、

 

彼女の功績から明らかです。

 

片岡球子は遅咲きの部類に入るかもしれませんが

 

103歳までその情熱を絶やす事はありませんでした。