日本画家の福田平八郎は
1892年に大分県大分市に生まれました。
大分中学校の在学中に画家を目指し、
まず京都市立絵画専門学校別科に入学。
翌年京都市立美術工芸学校に入学しなおし
後に京都市立絵画専門学校に入学しています。
そして27歳の時に第1回帝展に『雪』を出品し
初入選を果たしました。
また、約2年後の第3回帝展では『鯉』が特選を受賞し
宮内省の買い上げ作品となっています。
その後、1922年には菊池契月、西山翠嶂、
西村五雲によって選定された新人作家
(伊藤草白、堂本印象、登内微笑、岡本神草、
中村大三郎、宇田萩邨、山口華楊、
山本紅雲、福田平八郎)で構成された
「九名会」に加わりました。
やがて1924年には
京都市立絵画専門学校の助教授となり、
同美術工芸学校の教諭も兼務しています。
1930年には中村岳陵、山口蓬春らと
「六潮会」を結成し、1932年の第13回帝展では
銀屏風に群青のみで水面を表現した『漣』で
大きな注目を浴びました。
その後も京都市立絵画専門学校の教授や、
帝国芸術院の会員などを務めています。
福田平八郎が61歳の頃に日展で発表した『雨』では
斬新な視点で雨の情景を描き画壇に衝撃を与え
以降も常にその伝統の殻を破るアイデアで
独自の日本画を作り上げました。
展常務理事なども経て、1961年、69歳の時に
文化勲章受章、文化功労者を顕彰されています。
福田平八郎の作品は、
初期には写実的で濃厚な質感の作品を発表しましたが
次第にその画面は単純化していき、
明快な色彩と大胆な画面構成で表現するようになり
従来の日本画とは一線を画した
新しい日本画の領域を開拓しました。
その作品の画面は常に斬新であり、
写実と装飾を融合した演出は
近代日本画の新境地として
その地位を確立しています。
代表作品には、『牡丹』、『新雪』、
『漣』、『雨』などがあります。
福田平八郎は日本美術の伝統を踏まえた上で
徹底した自然観照により対象を
単純化、装飾化、様式化することで、
自然や対象の美しさを
本質的に捉えようとした作家でした。
古典を乗り越えた新しい日本画を開拓した功績が
高く評価されています。
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