安井曾太郎は1888年5月に京都市で生まれます。
実家は木綿問屋を営んでいますが
1903年に商業学校を辞めてから、18歳のときには
関西美術院にて同じく洋画家として活躍する
梅原龍三郎と、日本のミレーと言う異名を持つ
洋画家の浅井忠から教えを受けます。
やがて1907年にはフランスに渡り
アカデミー・ジュリアンの教授である
J.P.ローランスから、セザンヌやゴッホと言った
後期印象派について学びました。
26歳で帰国すると、その翌年から二科会に入り
44点もの作品を出展し、名が広まるようになります。
そして1944年、56歳のときに
帝室技芸員認定されました。
代表作には金蓉や婦人像、外房風景などがあります。
安井曾太郎の作品の特徴としては、
セザンヌの精神を受け継いだ
しっかりしたデッサン力による、見事な人物像にある
と言われています。
その特長が最も現れている作品の一つとしては
若い女性を描いた『金蓉』があり、
日本人らしい佇まいを描いていると言われています。
なお安井曾太郎は関西美術院時代から
「デッサンの神様」と呼ばれるほどデッサン力に優れ
写実や素描が徹底して上手いと言われています。
しかし決して作品は写実的ではなく
適度にデフォルメされているのも、
安井曾太郎の特徴と言われています。
■セザンヌの作風について
セザンヌには物体を多角的に見る
と言った特徴があります。
セザンヌは後期印象派の一人として数えられますが
印象派は物体よりも
光の当たり具合の変化を重視しています。
ですので印象派とセザンヌの作品は真逆であり
またセザンヌはそう言った印象派の作風に
疑問を呈する考えがあったようです。
■安井・梅原時代について
安井曾太郎と梅原龍三郎は名を馳せるようになると
洋画界を盛り上げる「安井・梅原時代」
と言われるようになります。
ちなみに梅原龍三郎も安井曾太郎と同年に
帝室技芸員に認定されています。
また安井曾太郎の関西美術院時代から分かるように
梅原龍三郎も安井曾太郎には交流関係があり
生涯を通して関係が続きました。
安井曾太郎はフランスでの絵画の考え方を
しっかり日本のものに投影させた
作家の一人と言えます。
またそれが日本で支持され、
「安井・梅原時代」と言われたと考えられます。
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