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骨董品
2019/03/14

松林桂月【帝室技芸員/日本画】

松林桂月(まつばやしけいげつ)

 

松林桂月は1876年に山口県萩市にて生まれました。

 

白水尋常小学校を卒業した後、

 

のちに帝室技芸員に認定された

 

南画家の野口幽谷に弟子入りをし、技術等を習得。

 

以降、自身の作品の制作に打ち込み、

 

日本美術協会や文部省美術展覧会に出品を続けると

 

同時に受賞を重ね、

 

1944年、68歳のときには帝室技芸員となりました。

 

正統派の南宗画として支持され、

 

1960年には日本南画院を設立すると

 

同時に初代会長にもなっています。

 

第2次世界大戦終了後の日本において

 

日展日本画の長老と言う形で存在感を示し、

 

1963年に息を引き取りました。

 

代表作には、日本美術協会展に初出品し

 

二等褒状となった菊花双鶏や、

 

1939年にニューヨーク万国博覧会にて出した

 

春宵花影などがあります。

 

 

 

南画について

 

南画は南宗画が元になっています。

 

南宗画とは、本来中国の画家が元・明時代に作った

 

中国山水画の事です。

 

北宗画と分かれる二大様式の内の一つであり、

 

柔和なタッチで描かれます。

 

日本においては江戸時代の後半において

 

画家達が自主的に南宗画を学び、

 

それが南画となりました。

 

また松林桂月は「最後の文人画家」と称される

 

作家としても知られています。

 

本来の文人とは、画家でない文人系の者を指すのですが

 

松林桂月の作品には

 

漢詩が使われている事も特徴です。

 

実際に文人は儒教を受け継いでおり

 

詩文が書けるので、

 

「最後の文人画家」と言う評価は

 

ここにも来ていると思われます。

 

また南画自体が文人に支持されて来た

 

と言う側面も持ちます。

 

 

 

40代後半から60代までが作風としてはピークを迎える

 

松林桂月の作品で最も支持されているのは、

 

氏が40代後半から60代の作品と言われています。

 

右上から左下へ展開されるのも松林桂月の特徴

 

と言われており、その特徴も40代後半から

 

60代には現れていると言います。

 

また晩年になると氏が結核に掛かっていた事もあり

 

死を覚悟した事で作品に進化が見られます。

 

それは単純な構図ながら力強い作風と指摘されており

 

それでいて卓越した技術を落とす事無く、

 

立体感がありありと分かるのも

 

松林桂月の凄さの一つです。

 

 

 

最後まで存在感を示した松林桂月

 

松林桂月が展日本画の長老と言う形で

 

存在感を示したり、

 

「最後の文人画家」とも言われるのは

 

やはり最後まで創作意欲を落とす事が

 

なかった所にもあると思われます。

 

特に死期が近づいても、

 

作品としての存在感を上げ続けるのは

 

作家自身が思う理想の形なのかもしれません。

 

 

 

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