幸野楳嶺は、1844年に京都で金穀貸付業を営んでいた
安田四郎兵衛の子として生まれました。
9歳の頃には円山派の中島来章に入門し
16歳で、円山で開催された画会に
「猿ヶ島報讐図」を出品して
鈴木百年に評価されます。
そして27歳になると、四条派塩川文麟の
門下に入りました。
やがて1880年には現在の
京都市立芸術大学の前身となる京都府画学校を設立し
北宗画の教員に就きいています。
しかし翌年には画学校を退職し、
竹内栖鳳の私塾に入門しました。
まもなく第一回内国絵画共進会の
審査員を務めると同時に、「月下擣衣図」を出品し
「百鳥画譜」の著述で、
絵事著述褒状ならびに絵事功労賞を受賞しています。
その後も、第二回内国絵画共進会で
審査員を務めると共に
「桜に雀」を出品し銀賞を受賞
また皇居御造営の際には
明治宮殿の皇后宮常御殿杉戸絵「山吹」、「芍薬」
および同化粧之間格天井絵「四季草花」を制作。
45歳の時にはパリ万国博覧会に
「二宮金次郎勉学図」を出品し受賞し、
その後も京都美術協会の設立や、同評議員、
第三回内国勧業博覧会の審査員など
要職を歴任しています。
これらの功績が認められ、1894年、50歳のときに
帝室技芸員に任命されました。
また、同年には東本願寺大師堂の壁画
「聖池蓮花図」などを手がけています。
幸野楳嶺の作品は、教育者的な知性と情緒の調和が
感じられる点が特徴的だといわれています。
初期の作品は円山派の影響も受けており、
四条派の主流に複合しています。
これには円山派の中島来章に師事し
20年ほど学んでいた事も
影響しているものと思われます。
例えば代表作である「西域記意帝釈試三獣図」は
兎が月に昇ったという仏教説話を
モチーフにした作品ですが、岩肌の表現や構図には
円山四条派の典型的な手法が見受けられます。
神山鳳陽に漢籍を学び、様々な文人と交友を持ち
見識を深めた柔軟な姿勢と探究心が
幸野楳嶺の作品に多様な表現方法を
与えていると言えます。
幸野楳嶺は画家と同時に、教育者として
その優れた能力を発揮しています。
彼の門下では楳嶺四天王と呼ばれた、竹内栖鳳、
都路華香、谷口香嶠、菊池芳文や上村松園、川合玉堂など
優れた門下生が輩出されました。
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