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骨董品
2019/01/10

森寛斎【帝室技芸員/絵画】

森寛斎(もりかんさい)

 

森寛斎は、1814年に山口県の長州藩士の

 

石田傳内の子として生まれました。

 

12歳の時に萩浜崎の万福寺の寺従、

 

太田龍に絵を学び、18歳で上坂し、

 

森徹山の門下生となります。

 

この頃の京都・大坂の画壇は円山派、四条派が主流で

 

森寛斎は四条派の絵師、森徹山に師事し

 

その画技を習得しました。

 

幕末は勤王志士たちと交わり、山縣有朋や

 

品川弥二郎などとも交流を重ねていましたが、

 

1855年には御所造営の際に一鳳らと共に従事し

 

常御殿の杉戸絵「赤壁」、「帰去来」を

 

制作しています。

 

1865年には萩藩の御用絵師に任命されていますが、

 

1870年には画業に専念する為に賞典返上を

 

藩に願い出て御用絵師の身分を離れました。

 

 

明治以降は京都に永住し再び画業に勤しみます。

 

塩川文麟らと共に「如雲社」に参加し

 

京都画壇の中心的な存在として活躍しました。

 

1882年に第1回内国絵画共進会では

 

「葡萄栗鼠図」が銀賞を受賞し、

 

1890年の第3回日本美術協会展では、

 

「後赤壁図」が特別賞を受賞しました。

 

同年に帝室技芸員に任命されています。

 

 

 

森寛斎の作品の特徴と技法

 

森寛斎は、動物画も描いており「古柏猴鹿図」は

 

第二回勧業内国博覧会に出品し、

 

皇室に献上もされています。

 

作品には柏と猿、鹿が

 

画面いっぱいに描かれています。

 

猿は7匹も描かれており、楽しげな作品には

 

トリックアート的な要素も含まれており

 

趣が感じられます。

 

しかし、同時に写実性は失われておらず、

 

森寛斎の巧みな技術も盛り込まれています。

 

画面いっぱいに描かれている

 

柏と猿、鹿の組み合わせには「百禄封侯」と言う

 

立身出世の意味も含まれており、森寛斎の思いが

 

そこには込められていると推察されます。

 

 

 

森寛斎の評価される所以

 

森寛斎は、円山派を学んでいましたが

 

次第に円山派は形骸的な写実表現に偏って行った為に

 

森寛斎は南画の墨による雅趣溢れる筆法要素を使い、

 

新しい画法を確立していきます。

 

その温和で情緒豊かな画風は

 

「明治の応挙」と評されるほどでした。

 

伝統を重んじながら江戸時代の

 

円山派の写生画法を伝えると共に、

 

文人画的な情緒を加えることによって

 

独自の作風を確立しました。

 

また、門下生には野村文挙、山元春挙、

 

奥谷秋石らがいます。

 

 

 

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