日本画家の寺崎広業は、秋田県にて
1866年に生まれました。
16歳の頃、秋田藩の狩野派御用絵師小室秀俊に学び
1888年に上京し平福穂庵、菅原白龍に入門します。
その後、東陽堂の「絵画叢誌」の
挿絵の仕事に従事して諸派古名画の模写を行い
画法の基礎を築きました。
また、同じく「風俗画法」では、
美人画の画法を習得しています。
この東陽堂の仕事の傍ら、
自身の作品も発表していきます。
1890年に第3回内国勧業博覧会では
「東遊図」が入選してその名を世間に広めました。
1896年に日本絵画協会に「悉達多語天使」を出品し
第1回共進会銅賞を受賞、
この作品は岡倉天心に認められる
きっかけになります。
1898年に東京美術学校の助教授に就任しましたが、
翌年、岡倉天心排斥運動の際に退職しました。
その後、岡倉天心と橋本雅邦が
日本美術院を設立すると、横山大観、
下村観山らと共に参画しました。
そして、1901年に東京美術学校に復職すると、
天籟画塾を開き正宗徳三郎、野田九浦、牧野昌広、
中村岳陵、伊藤龍涯、三浦廣洋など
多くの門下生を育成しました。
その後も、各展覧会に出品を続けて、
36歳のときに第5回内国勧業博覧会に
「横笛訪滝口入道」を出品して二等賞牌を受賞します。
その5年後には第1回文展に縦230cm×横323cmの大作
「大仏開眼」を出品し、審査委員も務めました。
それからは毎回、文展に欠かすことなく
出品を続けています。
第3回文展には、
「渓四題(雨後・秋霧・雲の峰・夏の月)」と
「秋雨後」を出品して高い評価を受けます。
その後も制作した作品は高い評価を得て行き
1917年、51歳のときに帝室技芸員に任命されました。
第3回文展に出品した
「渓四題(雨後・秋霧・雲の峰・夏の月)」は
南画風な用筆と土佐派の画法で描かれており
新しい南画の領域を築き上げています。
また「秋雨後」では、大和絵に近くかつ写生的に描いて
後の大和絵の道標的作品と評価されました。
第7回文展に出品した「千紫万紅」は
明治期における美人画の到達点だとされており、
第8回出品の「高山清秋」では、
遠景に日本アルプス連山、中景に黒姫、
妙高山、飯綱を配し、近景に白根山を望む
美しい自然風景を
南画と大和絵を織り交ぜた技法で描いています。
これらの作品は、寺崎広業の
芸術最高到達点だと評価されています。
寺崎広業の代表作は、
主に文展に出品を続けた時期に
多く制作されました。
狩野派、四条派、南画などの各諸派の手法を
幅広く習得し高め、それらの画法を高めて
独自の新南画と評せられる新しい作風を開拓し、
後進にも指導し多くの弟子を育成しています。
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