彫刻家の平櫛田中は、1872年に岡山県で生まれました。
21歳のときには大阪で人形師の中谷省古に弟子入りし
木彫を学び、やがて上京して台東区長安寺に寄宿し
高村光雲の門下生となっています。
その後、29歳のときに日本美術協会美術展に
「唱歌君ヶ代」を出品して銀牌を受賞、
1907年には、第1回文部省美術展覧会(文展)に
「姉ごころ」を出品し、入選を果たしました。
そして平櫛の才能を認めた岡倉天心からの推奨を受けると
42歳のとき、師家であった西山禾山をモデルにした
「禾山笑」などを第1回院展に出品し、
西山にも推挙されています。
1922年には日本画家の横山大観、木村武山、
下村観山の協力で
台東区の上野桜町にアトリエ兼住宅を建設するなどし、
65歳で帝国芸術院会員となりました。
平櫛は年を重ねても探究心を持ち、
明治末期から大正初期にかけては
東京芸術大学の前身である東京美術学校を創立した
岡倉天心に師事したといいます。
やがて72歳になってから東京美術学校の教授に就任し、
後進の指導にあたる中、
同年に帝室技芸員に任命されました。
後の1958年には、その約20年前から制作に取り組んでいた
「鏡獅子」が完成し、
1962年には文化勲章を受章しています。
平櫛田中は臨済宗の高僧西山禾山や
岡倉天心から刺激を受け、
中国故事仏教の説話をモチーフにした作品を
発表しています。
後には、モデルを使った塑造に
打ち込み代表作である「転生」や「烏有先生」を
発表していきます。
また、1958年、86の時には国立劇場に「鏡獅子」を納め
自身の制作活動の集大成としました。
「いまやらねばいつできる わしがやらねばたれがやる」は
平櫛田中の有名な田中語録として
現在でも語り継がれています。
平櫛田中は、非常に多作で
100歳を超えて死の直前まで創作を続けていた
と言われています。
平櫛田中の郷里である井原市には
「井原市立田中美術館」が設けられ、
上野桜木町に建設されたアトリエも再現されています。
また、井原市では市が主催する
「平櫛田中賞」も設けられています。
そして、晩年を過ごした小平市には
「小平市平櫛田中彫刻美術館」が建設され
平櫛田中の作品が公開されています。
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