掘柳女は、1897年に東京都港区で生まれました。
幼い頃に実父を失いましたが、養子に入り
22歳になると荒井紫雨から日本画を学んでいます。
その後少女雑誌に絵を投稿したことで
竹下夢二と知り合い、書生となって
アトリエに通っていました。
ここで夢二たちが集まっていたグループの
芸術思潮に影響を受け
人形作りにのめり込みます。
やがて仲間とともに人形制作グループ
「どんたく社」を結成し
1930年に第1回人形劇展(銀座資生堂)に「袖」
「幌馬車」を出品しました。
36歳の時には銀座三越で第1回個展を開催します。
翌年には、鹿児島寿蔵、野口光彦たちと
人形美術団体の「甲戌会」を結成しました。
1936年には、工芸部門に初めて人形が加えられた
第一回帝展に「文殻」を出品し
入選を果たしています。
これをきっかけに、以後、多くの展覧会で
数々の賞を受賞して行きました。
それと共に、人形塾の経営や
日展では女性初の審査員なども勤めています。
これらの功績が評価され、1955年、58歳の時
「衣装人形」の分野で人間国宝に認定されました。
晩年まで多くの作品の制作を続け
1967年に紫綬褒章、
1973年に勲四等瑞宝章を受章しています。
また、1983年、
ナンシー米大統領夫人が訪日した際には
迎賓館において創作人形造りを披露しました。
堀柳女の作品は、木彫に桐塑によって成形され
集めた布や自身で染め織った布を使用し
作品を装飾しています。
木彫の桐塑に胡粉を塗って裂と紙を貼り込んでいく
木目込みの手法などを得意としており
作品「草露」では、この技法を使って
清楚な女性の姿を表現しています。
堀柳女は人形作家として
帝展や日本伝統工芸展などに
風俗を題材にした繊細で叙情性ある作品を
数多く発表したことで
人間国宝に認定されましたが
そのような活動とともに「どんたく社」を結成し
竹下夢二らと交流を深めています。
伝統的な人形制作に縛られず
自由な発想で自身の作風を確立した点も
支持された大きな理由のひとつだといえます。