木版印刷と木版画の歴史
木版画とは、彫刻の施された木の板を使って制作される凸版画の事をいいます。日本には印刷技術として、飛鳥時代に中国から伝来しました。日本では浮世絵が代表的ですが、ここではその歴史と、近代の新しい木版画である「新版画」について紹介します。
現存する木版印刷物として世界最古とされるものは、770年に法隆寺等の仏教寺院に納められた「百万塔陀羅尼(ひゃくまんとうだらに)」という仏教経典です。都が奈良から京都へと移った平安時代、仏教経典や仏の姿を多く作り出そうと、人の手による書き写しでなく木版印刷によって手摺りする「摺経供養(すりきょうくよう)」や「摺仏(すりぼとけ)」が登場し、日本にはじめて「木版印刷」そして「木版画」が誕生しました。
鎌倉・室町時代には経典だけでなく、漢文学を複製した木版印刷物が多く生み出され、これによって木版印刷は出版事業として産業化していきます。そして1467年に始まった応仁の乱によって、都に住む人々が技術と共に地方へと移り住んだことにより木版印刷は全国に広がりました。
16世紀半ばになると、キリスト教の伝来や秀吉による国外出兵により「活版印刷」という技法が日本に伝えられました。これは木の板に画や字を彫る木版印刷に対し、金属に文字を彫ったものを組み合わせて版を作り出すもので、木版のように新たな印刷物を作るたびに版を作り直す必要がないため、当時の印刷市場には木版印刷に替わる技法として大きな影響をもたらしました。
その後江戸時代に入ると、出版文化は京都を始めとして大阪や江戸にも広まり、商業的な出版と共に本屋が誕生します。庶民の学び舎となった寺子屋や古本屋、貸本屋など印刷物の需要が高まり、文字のみでなく挿絵の入った瓦版や、文学書・医学書など書物の種類も増したことで、木版印刷、そして木版画が再び注目されることとなったのです。新たに文化の中心となった江戸では、浮世絵が爆発的に流行し、現代でも人気のある絵師喜多川歌麿や東洲斎写楽などが活躍し始めたのもこの頃となります。
その反面、活版印刷は幕府による鎖国と外来文化の禁止、また日本独特の「ひらがな・漢字・カタカナ」という広範囲な文字数や高い製作コストにより、日本に定着しないまま姿を消していきます。
江戸で大流行した木版画そして木版印刷でしたが、時代が明治へと移ると文明開化によって、西欧で進化を遂げた新しい活版印刷技術「輪転印刷」が日本へ持ち込まれ、ついに木版印刷は衰退の一途をたどり始めます。西欧仕込みの活版印刷技術は新聞を始めとした書物の印刷の大半を担い、木版印刷が担う規模は大幅に縮小していきました。
しかし、明治末期から大正時代にかけて、その技術は画家や作家たちによる新たな創作表現の手法として注目されました。木版印刷の芸術作品としての地位を確立しようとする「創作版画運動」が始まったのです。その後これまでのように、「絵師」と「彫師」、「摺師」などが木版画を分業して作成するのではなく、一連の流れを作家が全て行う「創作木版画(現代木版画)」が誕生しました。またその一方で版元たちは、木版印刷の復興実現を目指して、分業制の伝統木版画の形を踏襲しながら、日本画の描写を取り入れた「新版画」の立場を築き上げたのです。
江戸時代に流行した浮世絵は、限られた時間で大量の印刷物を生産するために、表現方法をシンプルにすることで浮世絵独特の構図や色彩表現を作り上げていきました。版元では版を彫る彫師、色を塗る摺師、そして下絵を描く絵師がそれぞれ専門職として作業を分担しており、歌麿や北斎も絵師として大手版元のお抱えや独立して活躍していました。
浮世絵が「一枚絵」として親しまれたのは、17世紀中頃から18世紀初頭、それまで挿絵として描かれてきた木版画が、菱川師宣の『見返り美人』によって芸術作品としての地位を確立したことがきっかけと言われています。これによって浮世絵が広まると、18世紀初頭には輪郭線を墨一色で擦った白黒の「墨摺絵」や、紅を使った「紅絵」、丹の絵具や漆を使った「丹絵」、「漆絵」などの様々な方法で配色された浮世絵が作られました。
18世紀中頃には、輪郭だけでなく彩色部分を製版した「紅摺絵」が登場します。それまでの単色使いの版画に紅色や黄色、緑色などを加えたもので、ここから複数の色版を重ねる「多色摺り」の技術が発達していきます。
18世紀後半になると、今日浮世絵と聞いてまずイメージする多色摺り木版画の完成形、「錦絵」が大流行しました。一気に木版画の表現性が広まり、浮世絵だけでなくメンコや花札などの娯楽品から包装紙まで、多種多様な分野で栄えていきました。
上記でも紹介したとおり、新版画は明治時代に誕生しました。「新版画」とは明治30年前後から昭和にかけて作成された木版画のことを指します。国内で衰退していく浮世絵版画の状況を案じた浮世絵商 渡邊庄三郎が版元となり、美しく緻密な完成度の高い作品が多く生まれました。日本画特有の墨の掠れや滲み、加えて写実性や豊かな色彩を表現した新版画は、海外でも流行しました。
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