会津銀判とは慶応末年頃会津藩内で少量が造られた地方貨幣・領国貨幣と言われています。
地方貨幣(領国貨幣)とは各藩内での領内通用目的の為に造られた金貨・銀貨であります。
例として、1784年・天明の大飢饉の際に仙台藩の仙臺通寳、1856年・日米和親条約の際に蝦夷松前地区限りの通用として箱館通寳、1862年・薩摩藩の琉球援助のための琉球通寳が造られた。他には盛岡藩の盛岡銀判・久保田藩の秋田銀判などがあります。
各藩の鋳造は、表向きは判内通用の目的として幕府に申請し造幣を許可されていましたが、実際はそれを隠蓑として幕府発行の通貨である天保・天明通寳密造を行っていたと言われています。
東北地方での地方貨幣が多いのは幕末の頃、東北地方は冷害など飢饉にあえいでいたが鉱山は多く、金属資源が豊富だった為各藩が財政立て直しのため、密造も含め鋳造したためだと言われています。
会津銀判はそれら領内通用目的や密造の隠蓑ではなく、当時の会津藩主である「松平容保」が1862〜1864年まで京都の守護職を勤めていたため公武合体や鋳銭宣下の記念として祝鋳し藩内に少量が出回ったとも言われています。
また別の説では慶応末年の頃、軍用金のためわずかな量が作られたともいわれています。
これらの説以外にも會津銀判は流通量が少量のため多くの研究家が調査をおこなっていますが戊辰戦争などにより歴史にまつわる書物は戦火に焼かれてしまっているため正確な歴史をひも解くにはいたっておりません。
また会津若松の古銭蒐集家である福西氏が作った福西判というとても精巧につくられた復元板もありその判別もまた困難であるとされています。
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