「相馬焼」は現在、生産地である「大堀」を用いた「大堀相馬焼」と中村城下エリアで焼かれる「相馬駒焼」があります。
福島県双葉郡浪江町大堀一円で生産される焼き物の総称を「大堀相馬焼」と呼び益子焼や笠間焼のルーツとされています。
起源は元禄時代、福島県の浜通り北部を治めていた相馬中村藩の藩士である半谷休閑が大堀(浪江町)において焼き物に適した陶土を発見し、召し抱えていた「左馬」というものに日用使いの陶器を焼き始めたのが起源と言われています。
この陶器類の出来は非常に良く中村藩の藩主である相馬氏に献上品として進呈されていました。
この陶器を評した藩主相馬氏はこれを藩の特産として行うことを決め「瀬戸物氏、他領江不可出来」を布令し職人の他藩への出入りを禁じ、資金の供給、原材料の確保など藩として後押しし藩内の広い地域に窯元をつくっていくのでした。
江戸時代末期には大小100を越える窯元ができ、農業の兼業として窯をもつ者など民窯としても広く親しまれる物となっていきました。
1830年頃「半谷滝三郎」氏が絵付けの研究を始め、この頃から相馬焼に駒絵が施された物が出てくる様になりました。この地域の藩である中村藩は「相馬野馬追」の伝統を有し、藩主である相馬氏の家紋には馬が持ち入れられている為、縁起物として広く親しまれていきました。
馬の絵の特徴は左の方角を向いており「左馬」といい、相馬藩の御神馬であり、「右に出るものがない」という意味で縁起がいいとされています。
相馬焼の特徴として「ひび割れ」の模様があります。これは「青ひび」といわれ器全体に広がり地模様となっています。
また、1900年頃には「二重焼き」という工法が生み出されます。これは器の胴の部分が二重構造になっており熱い飲み物がさめにくく、また器も熱くならないという画期的なものでありました。
戦後の復興期には、日本に留まらず海外でも高い評価を受け、「ダブルカップ」の愛称でよばれ、販路を広げていきます。
1978年には国に「伝統的工芸品」に認定されその価値をみとめられました。
しかし、2011年には東日本大震災の影響で産地である浪江町は「帰宅困難地域」として立ち入ることができなり、現在は県内(一部県外)の各地域に少数ではありますが窯が再建され現在に至っています。
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