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高橋敬典【人間国宝/茶の湯釜】

高橋敬典(たかはしけいてん)

 

山形県山形市に生まれた金工家高橋敬典は

 

尋常小学校を卒業して直ぐに家業を手伝い

 

父高橋庄三郎の営んでいた山正鋳造所で働きました。

 

当初は多種多様な鋳物を制作していましたが

 

その後、釜師の長野垤志に師事し

 

茶の湯釜職人を目指して働き出します。

 

この頃から、日本古来の砂鉄を精錬した地金

 

「和銑(わずく)」を使った

 

茶の湯釜の作品の制作を始めました。

 

 

受賞作品も多数あり、31歳の時に日展に出品した

 

「和銑平丸釜地文水藻」は初入選を果たします。

 

10年後には昭和天皇の山形県行幸で

 

釜を献上したと共に、日本伝統工芸展で

 

「砂鉄松文撫肩釜」が奨励賞を受賞しました。

 

その後も、日本伝統工芸展鑑査委員や

 

皇太子明仁親王の山形県行啓で

 

釜を献上する役目を果たすなどし

 

76歳の時、茶の湯釜の分野で

 

国の重要無形文化財に認定されています。

 

 

【高橋敬典の作品特徴と技法】

 

高橋敬典の作品には長野垤志が研究していた

 

芦屋釜、天明釜などの影響が見られ

 

自身も歴史ある茶の湯釜を元に

 

古来の作品の技法を自ずと学んでいきました。

 

和銑の研究にこだわりを持ち、追究したのです。

 

高橋敬典の作品は繊細なものが多く

 

製錬した金属から不純物を除去して

 

純度を高めているため、その肌面は

 

砂肌や絹肌などと表現されます。

 

作品にはそのような砂鉄や地金を用いており

 

その材料にもこだわった高橋は

 

地元の馬見ケ崎川で採取した川砂を使用して

 

鋳型作りを行いました。

 

それらは、その細やかな文様を

 

表現するための技法とも言え、地紋に

 

松や竹、波など繊細なデザインを施すことによって

 

やわらかな印象を醸し出しています。

 

 

高橋は、芦屋釜や天明釜などの

 

古来の表現方法に沿った

 

画一的な作品はほとんど作らず、

 

独自に編み出した様々な技術や表現方法を

 

作品に投影しました。

 

そのしなやかで細やかな文様は

 

伝統的な技術を融合させた

 

高橋敬典独自のモダンデザインを

 

確立したと言えるでしょう。

 

 

【高橋敬典の評価される所以】

 

高橋敬典と言えば茶道や茶道具に通じている方なら

 

知らない人はいないと言われる程

 

その作品の数々はとても有名です。

 

和銑を用いた茶の湯釜の制作で

 

秀でた作品の数々を発表しました。

 

また、伝統工芸品である山形鋳物を

 

世に広めた大功労者でもあります。

 

釜や鉄瓶、銚子、五徳、花瓶など作品は多種多様で

 

その探究心と創作意欲は並々ならぬものがあります。

 

作品の数々は、見る者、使う者の気持ちを

 

繊細な心で形に表す、もてなしの茶道具として

 

扱う者の心地よさを想起させてくれます。

 

 

 

金城次郎【人間国宝/琉球陶器】

金城次郎(きんじょうじろう)

 

金城次郎は沖縄出身の陶芸家で

 

1912年に那覇市で誕生し、11歳から

 

壺屋の新垣栄徳の製陶所に入りました。

 

36歳で独立してからは

 

浜田庄司や河井寛次郎らに師事し

 

40歳の頃からは沖縄美術展覧会の工芸部門に

 

続けて出品を繰り返しています。

 

翌年には国展に初入選を果たしたことを皮切りに

 

翌年の国展では新人賞を受賞するなど

 

その名を広めていきました。

 

その後も個展の開催や、数々の展覧会での受賞を経て

 

71歳の時に琉球陶器の分野で

 

重要無形文化財技術保持者に認定されました。

 

また、79歳の時には勲四等瑞宝章を受賞しています。

 

 

【金城次郎の作品の特徴と技法】

 

金城次郎の生家は製陶を営んでいた為

 

壺屋焼きは常に金城の近くにありました。

 

その恵まれた環境の中で、金城は必然的に

 

焼き物の世界へと身を投じてきます。

 

そして、壺屋の名工と謳われた新垣栄徳の製陶所で働き

 

その並外れた技法を習得していきました。

 

その製陶姿勢は、日常生活に使われる焼き物を作る

 

という信念を大切に持ち続けたもので

 

伝統的なものだけでなく、多彩な技術を使った

 

金城次郎独特な作品も制作しています。

 

金城次郎はロクロの名手で線彫り、刷毛目、流し掛け、

 

指掻きなど多彩な技術を持っていました。

 

作品の多くはそのおおらかな性格を表すように

 

のびのびと表現されています。

 

沖縄出身であることで

 

海の生物をテーマにした作品を多く作っており

 

自然をテーマに

 

自分自身もまた自然の一部だと思わせるような

 

作品作りに金城は没頭していきました。

 

その作品たちは線彫り技法を駆使した

 

表情豊かな魚文、海老文は生物の持つ力強さや

 

躍動感に溢れています。

 

そんな力強い躍動感がありながらも

 

おおらかで親しみのある作風が

 

金城次郎の真髄とも言えます。

 

 

 

【金城次郎の評価される所以】

 

金城次郎の作品には、他人には真似が出来ない

 

強烈な個性があります。

 

よくモチーフに用いられる沖縄を題材とした

 

魚や海老などの作品には皆表情があり

 

笑った魚や海老が描けるのは

 

金城次郎しかいないと

 

言わしめる所以ともなっています。

 

その独創性溢れる作品は、他の陶芸家では

 

決して表現できない芸術性を認識させてくれます。

 

 

また、60代の頃からは読谷村に住み

 

製陶活動の傍ら「やちむんの里」を構想して

 

後進の育成にも尽力しました。

 

沖縄伝統の琉球陶器の文化を守りつつ

 

発展させた陶芸家として、評価されています。

 

 

 

近藤悠三【人間国宝/染付】

近藤悠三(こんどうゆうぞう)

 

近藤悠三は京都の出身の陶芸家で、75歳の時に

 

染付技法の重要無形文化財保持者の認定を受けました。

 

12歳で京都市立陶磁器試験場付属伝習所轆轤科に入所し

 

卒業後は同試験所の助手として勤務していましたが

 

のちに退職し、大和の窯で創作活動をしていた

 

富本憲吉に師事しています。

 

その後、京都に戻り関西美術院洋画研究所で

 

洋画やデッサンを学ぶと同時に

 

清水で窯を構えて制作活動を始め

 

26歳の時から帝展で出品した作品が

 

13回連続で入賞したことで、その名を広めました。

 

そのほか54歳の頃には第三回日本伝統工芸展で

 

「山水染付壺」が日本伝統工芸会賞を受賞

 

68歳の頃には紫綬褒章も受賞しています。

 

 

 

【近藤悠三の作品の特徴と技法】

 

近藤悠三の陶磁器における技法の最大の特徴は

 

染付の技法に凝縮されています。

 

ぼかしを用いた筆使いで濃淡をつけて描き

 

絵具もコバルトを精製せず敢えて不純物である

 

鉄やマンガンを含有させることで

 

青白く滲んだ濃淡を浮遊させる、

 

趣のある作品を生み出します。

 

そのような染付の技法を駆使した作品には、

 

葡萄、柘榴、松、梅、山水、詩文などの模様が多く

 

それぞれが大胆かつ味わいのある画風で描かれました。

 

 

染付に用いられる鉱物の中には

 

「呉須」と呼ばれるものがあります。

 

これは陶磁器の染付に用いる顔料の一種であり

 

焼成を行う際に釉に反応して青色を発色します。

 

また、呉須で描かれた陶器は染付と呼ばれ

 

中国では、青花と呼ばれます。

 

呉須土は酸化コバルトを主成分として

 

鉄、マンガンなどの酸化物を多く含んでおり

 

これらの酸化物が多いほど

 

釉の色がくすんだ色になっていきます。

 

日本では主に愛知県の瀬戸地方に産出されましたが

 

少量の為中国からの輸入に頼ることが大きく

 

それらは唐呉須と呼ばれました。

 

また近藤は、金彩や赤絵などの技法を用いた作品も

 

制作しています。

 

赤絵とは、色絵、五彩とも呼ばれる絵付陶磁のことで

 

特に赤絵の具が基調となっているのが

 

その名の由来です。

 

 

近藤悠三の代表作品の中の一つ

 

直径126cm、重量約100kgの梅染付けの大皿は、

 

これらの技法が使われた平皿で

 

世界最大級の規模を誇ります。

 

その豪放な筆致は圧倒的な迫力で、

 

見るものを感嘆させます。

 

 

 

【近藤悠三の評価される所以】

 

近藤悠三は伝統的技法の研究でその技術を追究しながら

 

独自の染付けの技術を会得していきました。

 

民芸調な素朴かつ力強い

 

自由な作風が評価されています。

 

海外でも評価は高く、

 

アメリカ開催の現代世界陶芸家展に

 

日本から選ばれた陶芸家の一人にも選ばれました。

 

オックスフォード大学やオークランド美術館にも

 

作品が収蔵され

 

また、ミラノ・トリエンナーレ展に出品した

 

「染付花瓶」は銀賞を受賞しています。

 

 

 

角谷一圭【人間国宝/茶の湯釜】

角谷一圭(かくたにいっけい)

 

釜師角谷一圭は1904年に

 

大阪市東成区で生まれました。

 

元々宮大工であった家庭に育ち

 

6歳頃から鋳物師である父、角谷巳之助の元で

 

仕事を手伝い始めると

 

21歳で大阪工芸展に初出品した「海老釜」が

 

高松宮総裁賞を受賞しました。

 

その後は制作活動を続けていき、57歳の時には

 

8回日本伝統工芸展で「独楽釜」が朝日新聞賞を、

 

72歳の時には勲四等瑞宝章を受章しています。

 

そして数年後、茶の湯窯の分野で

 

重要無形文化保持者に認定されました。

 

 

 

【角谷一圭の作品】

 

角谷一圭の制作する茶釜は

 

錆は独自の格調高い風情と毅然とした佇まいを、

 

施された文様はそこから優美さを感じさせ

 

我々を魅了します。

 

その文様は、戦後に出回っていた

 

茶釜の名品の修復に長年携わってきた

 

角谷自身の経験が生かされており

 

形態や地紋、鉄味など研究の成果を

 

存分に作品に反映していると言えるでしょう。

 

角谷一圭は自身の作品を

 

鎌倉期の筑前や芦屋釜をベースに築いていきました。

 

 

華々しい数々の受賞歴は

 

釜師としての地位を築き上げましたが

 

その制作意欲は幼少の頃から携わっていた

 

釜師としての仕事と茶の湯の世界に精通したい

 

という気持ちの表れでもあり

 

その思いが人間国宝にまで上り詰める

 

大きな要因でもあったと見受けられます。

 

 

 

【角谷一圭の評価される所以】

 

角谷一圭と言えば茶道界でも知らない人がいない

 

と言われるほどの茶釜師で、

 

釜師としてとても有名ですが

 

1993年には第61回伊勢神宮

 

式年遷宮御神鏡31面鏡を制作するなど

 

日本の伝統文化にも深く精通しています。

 

和鏡の研究にも情熱を注ぎ

 

優美なヘラ押し文様の技術を確立しました。

 

その技術と知識を以って、上記の

 

伊勢神宮式年遷宮御神鏡31面鏡の制作では

 

見事なまでに美しい和鏡を仕上げています。

 

 

このように日本文化を大切に思い

 

作品を作り上げる情熱は、日本の伝統文化を尊ぶ

 

角谷一圭の作品の美しさを一層引き立てています。

 

 

 

海野清【人間国宝/彫金】

海野清(うんのきよし)

 

彫刻家海野清は1884年に東京で生まれます。

 

27歳の時に東京美術学校金工科を卒業し

 

水戸金工の名工と謳われた父であった

 

海野勝珉、加納夏雄に師事しました。

 

その後35歳で東京美術学校の助教授に就任し

 

翌年、第9回帝展では「鸚鵡文金属小筥」が

 

特選を受賞しています。

 

それからは帝展、新文展の審査員を歴任し

 

40後半にはフランスに留学しました。

 

帰国後は勲三等瑞宝章を受賞したのち

 

東京芸術大学の教授や

 

日展運営会常任理事を務めています。

 

そして71歳のときに彫金の分野で

 

重要無形文化財保持者に認定されました。

 

晩年は全日本工芸美術家協会会長や

 

日本彫刻家会長を務めています。

 

 

 

【海野清の作品の特徴と技法】

 

海野清の作風に見られる大胆な表現は

 

伝統的な技法をベースにして

 

次々と新しい技法や表現方法を編み出し

 

革新的な創作活動を探求していることに

 

基づいていると言えるでしょう。

 

主に、獣や鳥、仏像、草花などをモチーフに

 

独自の構図と大胆な表現で作品を作り出し

 

作品は花瓶や置物、文具関係など種類は様々です。

 

また、海野清がフランスに留学した経験は

 

その作品に大きな影響を与えました。

 

伝統的な毛彫とフランスで学んだ技術を

 

ミックスさせた優雅な作品を生み出し

 

作品の一つ「観音」などは

 

その技術をふんだんに駆使して

 

金色に色めくとても美しい作品に仕上がっています。

 

その繊細なデザインは、鋭いたがねを使って

 

観音菩薩の柔和な表情を掘り出したもので

 

緻密な線引きは「素晴らしい」の一言に尽きます。

 

加えて、独自のタッチで

 

エレガントな美しさも演出しており

 

伝統的な手法と独自の手法を織り交ぜることで

 

新しい美の価値観や崇高な精神性をも

 

作品に刻み込みました。

 

 

 

【海野清の評価される所以】

 

海野清の彫刻家としての制作意欲は

 

その地位を確立した後も失われることなく

 

技術の追究、表現方法の探索を常に追い求めました。

 

フランスに留学したのちは、西洋の彫刻を学び

 

新たに立体的な造形を取り入れています。

 

その作品の数々は古典的な技法を踏襲しながらも

 

格式あるモダンな造形美の可能性を追求しており

 

新しい表現方法の探求は常に続けられました。

 

また、彫刻家としての制作活動だけでなく

 

帝展や新文展などの審査員として、後に続く

 

彫刻家の育成にも寄与しています。

 

日本彫刻家会長や

 

全日本工芸美術家協会会長なども歴任し

 

彫刻の発展に尽力しました。

 

 

 

加藤卓男【人間国宝/三彩】

加藤卓夫(かとうたくお)

 

1917年生まれの加藤卓男は

 

古代ペルシア陶器と日本の陶器の融合において

 

多大な功績を築いた陶芸家です。

 

28歳の頃に戦争で被爆し、白血病治療を経て

 

44歳でフィンランド工芸美術学校を修了しました。

 

その後は実力を発揮していき

 

6回日展で特選北斗賞を受賞、

 

また、50代でイランパーレヴィ王立大学付属

 

アジア研究所に留学した際には

 

ペルシア古陶発掘調査にも参加しています。

 

60代の頃には、宮内庁からの依頼で

 

正倉院三彩の復元などにも従事し

 

そのほかトルコのトプカプ宮殿美術館で個展を開くなど

 

海外での活動も積極的に行いました。

 

これらの功績によって、加藤は71歳で紫綬褒章を受賞し

 

78歳の時に三彩の分野で

 

重要無形文化財保持者に認定されました。

 

 

 

【加藤卓男の作品の特徴と技法】

 

加藤卓男の作品の魅力は何と言っても

 

その色彩の美しさにあります。

 

これは長年、古代ペルシア陶器の色彩や

 

独特の造形美を研究し青彩、三彩、ペルシア色絵を

 

追究してきたことからくるものでしょう。

 

その独創的な造形と青色を昇華させた作品は秀逸です。

 

加藤卓男が再現した技法の一つである「ラスター彩」は

 

イスラム陶器の一つで、スズ白釉を塗った素地を

 

銀や銅を用いて酸化させ、低火度で焼成し

 

美しい文様を描き出したものです。

 

元来、ラスター彩の技法は9世紀

 

メソポタミアで用いられたことをきっかけに

 

エジプトやイランに伝わった手法で

 

その陶器の表面に彩られた文様は

 

金属の持つ特有の輝きを最大限に引き出します。

 

ちなみに日本では、「虹彩手」、「きらめき手」などと

 

呼称されており、異民族のエキゾチックな文化と

 

日本の優美な芸術性が見事に融合し

 

新しい美しさを生み出しています。

 

 

また、加藤が得意とした「三彩」は、上絵付けに

 

鉛(白)、銅(緑)、鉄(黄)の3種類の釉を用いて

 

低火度で焼き上げた焼き物のことを指します。

 

必ず3色というわけではなく、高火度のものや

 

2色、4色のものも「三彩」と呼ばれ

 

一つの陶器に2種類以上の色彩が用いられる

 

華やかな陶器のことを指すのです。

 

中でも、唐から明の時代に作られた三彩は

 

「唐三彩」と呼ばれ代表的な「三彩」

 

そして日本の正倉院の所蔵する皿、鉢、壺などは

 

「奈良三彩」と呼ばれ、

 

その出来栄えから「唐三彩」と区別されています。

 

 

 

【加藤卓男の評価される所以】

 

加藤卓男が評価される点は

 

ペルシアから日本に広がった焼き物を体系的に実現させ

 

かつ独自の技術を会得し

 

その芸術性を高めたことと言えるでしょう。

 

正倉院の復元や古代のペルシア陶を

 

研究して再現するだけでなく

 

現代の陶芸家として斬新な

 

一つの境地に辿り着いた点が評価されています。

 

また、日本の陶芸展や国際的なコンペでも

 

審査員を務めたりと、加藤の陶芸界への貢献度は

 

非常に大きいものです。

 

陶芸界を長年リードしてきた存在とも言えるでしょう。

 

 

 

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