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前大峰【人間国宝/沈金】

前大峰(まえたいほう)

 

前大峰は1890年に11月に生まれました。

 

輪島塗の沈金師、三代橋本佐助から

 

文様を鏨で毛彫りにし、金粉を入れ込む沈金技法を学び

 

23歳の頃に独立を果たします。

 

その後1921年に出来た石川県工芸奨励会の展覧会に

 

出品を続けていき、1929年、39歳の時には

 

4回帝国美術院展覧会において

 

初入選を果たしました。

 

日展でも活躍し、やがて審査員ともなっています。

 

こうした功績と、前大峰の輪島塗で行った

 

斬新な沈金技法が評価され

 

65歳の時に人間国宝に認定されました。

 

そして1977年にこの世を去っています。

 

代表作としては

 

1929年に帝国美術院展覧会で

 

特選を得た『遊鯰の手箱』。

 

1949年に文部大臣賞を受賞した

 

『沈金蘭と猫文小屏風』などがあります。

 

 

 

沈金について

 

宋時代の中国から伝わった技法と言われています。

 

黒漆もしくは彩漆の素地に毛彫を施し

 

文様を付けてから金箔や金粉を入れていきます。

 

また日本では輪島市の他、沖縄本島でも

 

元々使われている技法です。

 

 

 

輪島塗について

 

輪島塗は石川県輪島市でよく使われている

 

漆器を制作する際の技法で

 

下地に粘土粉や生漆を使います。

 

また硬く、沈金の他には金粉や銀粉などを付ける

 

蒔絵なども、装飾時に使われています。

 

輪島市は土地柄湿気が多く、漆を塗り重ねやすい

 

と言った特徴があり、このような事もあってか

 

輪島塗は伝統工芸品のみならず

 

現代アートにまで使われています。

 

 

 

輪島塗に革新を与えた前大峰

 

このような輪島塗ですが、今までの沈金技法では

 

立体感を表現するのが難しく、平面的なため

 

作品としての上質感も見出だせないとまで

 

言われていました。

 

しかし、前大峰は点描を施すことで

 

立体的な表現を実現し

 

さらにノミを用いた作品作りや

 

蒔絵を効果的に使った事で

 

情景がありありと思い浮ぶような

 

作品を作り上げています。

 

そしてその技術や熱意は

 

息子の前史雄にも受け継がれ

 

また違うアプローチで

 

輪島塗の技術を発展させていきます。

 

 

 

前史雄【人間国宝/沈金】

前史雄(まえふみお)

 

前史雄は1940年に石川県輪島市で生まれました。

 

父は沈金を点描で行った事で知られている前大峰であり

 

前史雄は金沢美術工芸大学で

 

日本画について勉強したのち、

 

父から沈金技法について教わっています。

 

やがて28歳で日本伝統工芸展に出品した作品が

 

奨励賞を受賞し、以後日本伝統工芸展で

 

受賞を重ねていきました。

 

その作品には日本画を学んだ経験が活かされた図案や

 

角のみ技法など、父であり、師でもある前大峰とは

 

また違った輪島塗へのアプローチが認められ

 

1999年、59歳の時に人間国宝として認定されます。

 

代表作としては沈金棗「清音」や沈金箱「朝陽」

 

「猫文沈香箱」などがあります。

 

 

 

特徴

 

前史雄は沈金刀を駆使した

 

斬新な作品が特徴となっています。

 

金・銀粉の装飾と言った輪島塗の特徴を最大限に活かし

 

奥深さや温かさもある独自の作風を展開しています。

 

また前史雄はその学歴から、作品には日本画を思わせる

 

見事な構成がよく施されます。

 

日本の自然を描いた風光明媚な雰囲気の作品が多く

 

それは自然を身近に感じてもらいたい思いからも

 

来ているようです。

 

沈金の技法としては線彫や点

 

こすりに片切り彫りなどがありますが、

 

前史雄はそれに加え角のみ技法も開発しています。

 

 

 

技法の解説

 

・沈金

 

沈金は漆芸の装飾技法の一種です。

 

漆を塗って乾燥させた素地に、沈金刀やノミを使って

 

文様を描いていきます。

 

そこに金箔や金粉を入れていきます。

 

元は中国の技術が室町時代の日本に広まり

 

石川県輪島が独自発展させた技法ですが

 

前大峰の点描によって

 

今までなかった立体感が生まれました。

 

 

・線彫

 

素彫りとも言われ、下絵を元に

 

線や点を彫っていきます。

 

また輪島塗で元々、主流だった技法としても

 

知られています。

 

 

・点描

 

前史雄の父である前大峰が生み出した技法です。

 

点状に彫っていく作業ですが

 

立体感が生まれると同時に沈金ならではの

 

透明感がより出る技法と言われています。

 

 

・擦り

 

ノミで塗面を擦っていくように削る技法の事です。

 

 

・片切り彫り

 

一方を垂直に彫り、もう片方は斜めに彫る技法です。

 

 

・角のみ技法

 

沈金ノミで削っていく技法です。

 

点彫、線彫、コスリ彫、片切り彫の

 

元来の4種の技法に加えて

 

前史雄が発明しました。

 

 

 

後世への支援と作品の追求も行う前史雄

 

前史雄は現在、母校の金沢美術工芸大学の工芸科で

 

後輩の指導を行い、さらに作風を深めるために

 

沈金刀に対する研究を忘れず

 

新たな沈金刀の提案も行っています。

 

2002年、62歳の時には紫綬褒章も受章しており

 

後世への支援と制作活動を絶えず続けています。

 

 

 

赤地友哉【人間国宝/髹漆】

赤地友哉(あかじゆうさい)

 

赤地友哉は明治39年、石川県金沢市にて生まれました。

 

実家は桧物師を生業としていましたが

 

16歳の頃に地元で活動していた

 

塗師の新保幸次郎の下で5年間漆塗りを教わり

 

そのまま桧物師ではなく漆芸家の道へと進みます。

 

その後24歳で独立を果たし

 

東京の京橋や日本橋で茶器を制作しました。

 

また日本橋では塗師の渡辺喜三郎や

 

蒔絵師の植松包美と出会うなどして、

 

数々の師から髹漆の技術を教わっています。

 

また、茶道においては茶器を制作するだけでなく

 

自身も茶道を学んでおり

 

江戸時代初期から430年以上の歴史を持つ

 

遠州流11代目家元の小堀宗明の元で茶道を学び

 

その経験によって小堀宗明とも号しました。

 

戦後には大平通商株式会社に勤めながら

 

自身の制作活動も続け、昭和31年の日本伝統工芸展で

 

『胡桃足膳』を初出品しています。

 

以後コンスタントに出品を重ね、5年後となる

 

昭和36年の第8回日本伝統工芸展で

 

『曲輪造彩漆鉢』を出品し、

 

日本工芸会総裁賞を受賞しました。

 

赤地はこれらの功績が称えられ

 

昭和49年、68歳の時に人間国宝として

 

認定されています。

 

 

そして、昭和596月に息を引き取りました。

 

そのほか代表作として

 

『はりぬき朱八角中次』や『木地糸目旅棗』

 

などがあります。

 

 

 

特徴

 

赤地友哉の作品は、木工の曲物技法をベースにした

 

曲輪造りの素地を作る所から

 

塗立での上塗りも一人で行うと言う点が特徴です。

 

木工の曲物技法は乾燥の際に生じる歪みが

 

曲輪同士のすき間でカバーされ

 

柔構造でもありながら強度の高いものに仕上がります。

 

ちなみに木工の技法には他に指物や挽物、刳物など

 

がありますが、曲物は滑らかなカーブ具合を見て

 

楽しむものとされています。

 

赤地友哉の木工の曲物の作品はその美しさに加え、

 

漆の艶やかさや刷毛目の軌跡をも楽しめます。

 

 

 

鹿島一谷【人間国宝/彫金】

鹿島一谷(かしまいっこく)

 

鹿島一谷は明治31年に東京都にて生まれます。

 

布目象眼の技法で作品を作り続ける

 

彫金家の息子として育ち、自身も祖父と父から

 

布目象眼について学びました。

 

その後水戸金工の名工と呼び声高い、

 

海野勝の息子である海野清からも学び

 

父が亡くなった事もあり、大正7年、20歳の時に

 

独立を果たしています。

 

そして昭和3年には第10回帝国美術院展覧会に

 

初入選しました。

 

数々の作品を作り続けると同時に受賞も重ね

 

宮内庁からの依頼で菊菱地柳鷺紋飾壺や

 

唐招提寺国宝の金亀舎利塔の製作にも

 

着手しています。

 

これらの功績が認められ、昭和54年、81歳の時に

 

人間国宝に認定されました。

 

 

 

作品の特徴

 

作風としては、細かい絵文様による

 

現代的らしいテイストを、花瓶や花器、香炉、

 

文房具といった幅広い種類の造形物に

 

当て込んだ所にあると言われています。

 

また上質で伝統的な技法があるとも指摘されています。

 

なお代表作としては、露草布目象嵌水指や

 

銀地布目象嵌秋の譜水指

 

朧銀布目水鴛文盆や金工水牛文花器などがあります。

 

 

 

技法

 

鹿島一谷の作品でよく使われる技法を紹介します。

 

・布目象嵌技法

 

鉄や銅合金と言った金属表面に布目状の筋を彫った後

 

そこにまた別の金属(金銀箔なども含む)

 

入れ込む技法の事です。

 

京都発の技法とも言われています。

 

また鹿島一谷の場合は

 

「鹿島布目」と言う別名もあるほどで

 

彫り跡が分からないと言われるくらいです。

 

・象嵌

 

ある素材に別の種類の素材を当て込む技法です。

 

金工象嵌木工象嵌など種類が複数に分かれます。

 

・色絵

 

彫金においては金銀の薄板に複数の金属を付けて、

 

象眼文様を作り上げていきます。

 

・着色

 

彫金の場合は直接塗料を塗ることは基本的にせず

 

素地自体を発色させたり金属を腐らせたり

 

漆を施したりします。

 

各職人によって個性が出やすい技法とも

 

言われたりします。

 

 

 

現代にも引き継がれる布目象嵌の教え

 

鹿島一谷は平成8年に息を引き取りましたが

 

孫に当たる鹿島和生が後を引き継いでいます。

 

鹿島和生は自宅に工房を構えながらも

 

東京都の根津と言う町で布目象嵌を広めています。

 

先祖代々引き継いてきた布目象嵌は

 

現代にも受け継がれています。

 

 

 

田口壽恒【人間国宝/鍛金】

田口壽恒(たぐちとしちか)

 

田口壽恒は1940年、東京都にて生まれました。

 

元々中学時代から父の手伝いを行っていましたが

 

19歳で都立工芸高校を卒業した後、

 

江戸時代からの歴史を持つ長寿齋派でもあった

 

父の田口恒松から、鍛金の技術について

 

本格的に教えを受けます。

 

その後1972年には日本伝統工芸展や伝統工芸新作展

 

伝統工芸日本金工展に初入選し

 

44歳の時には鍛朧銀面取鉢が

 

日本伝統工芸展の日本工芸会総裁賞を受賞しました。

 

そして銀と銅を使った合金である

 

四分一の素材の良さを活かした作品群が認められ

 

2006年、66歳の時に人間国宝として認定されました。

 

 

 

作品作りの背景

 

田口壽恒は作品作りを楽しんでしています。

 

また、同じような作品作りを良しとせず

 

日本伝統工芸展や伝統工芸新作展、

 

伝統工芸日本金工展と

 

複数に出展しているのはその為のようです。

 

金属による作品作りも

 

「他の人が挑戦しない事を敢えてやる」

 

と言う考えがあるといいます。

 

 

 

特徴

 

鍛朧銀四方鉢や鍛朧銀盛器、南鐐銚子などの

 

田口壽恒の作品は、一見シンプルで

 

美しいラインが特徴です。

 

しかし実際は微妙な凸凹や厚みがあったり

 

田口壽恒は「それを楽しんでいる」

 

と言った趣旨の発言もしています。

 

作品制作において同じ物は全く生まれないので

 

その偶発性が作品として個性になっているようです。

 

 

 

田口壽恒の作品によく使われる技法

 

・四分一

 

3:1の合金のことです。

 

また金も付け加える事でより綺麗に輝きます。

 

朧銀と言う別名も生まれるほどです。

 

・鍛金

 

金属を立体的に叩き伸ばす技法です。

 

・焼きなまし

 

四分一は金属の中では硬い方とは言え

 

壊れやすい性質にあります。

 

そこで加熱させた後に冷やす作業をします。

 

それが焼きなましで、独特の跡が出やすい

 

と言った特徴もあります。

 

 

 

田口壽恒の現在

 

田口壽恒は現在娘と共に

 

作業を行っているとの事です。

 

鍛金の作業だけを取っても半世紀以上行っており

 

これからも娘と共に積極的な作品作りが期待できます。

 

 

 

内藤四郎【人間国宝/彫金】

内藤四郎(ないとうしろう)

 

明治40年、内藤四郎は東京の四谷で生まれました。

 

この四谷は数多くの名工達が住む場所でもあり

 

内藤は自然と彫金の世界に興味を持つようになります。

 

やがて東京美術学校金工科に入学すると

 

在学中に制作した「銀製草花文打出小箱」によって

 

帝国美術院展覧会への入選を果たしました。

 

24歳で同校を卒業した後も、

 

内藤はさらに技術を磨くべく清水南山や

 

海野清と言った彫金家から教えを受けていきます。

 

その甲斐あって5年後の昭和11年、内藤は

 

「柳波文平脱小箱」にて文部省美術展覧会で

 

特選を受賞しました。

 

研究熱心であったその性格や

 

富本憲吉と交流を深めた事もあり、

 

内藤はその後造形の基礎技術についても

 

学んでいきます。

 

このように自身の作品の制作や研究・指導などで

 

文化に貢献してきた内藤四郎は、やがて、

 

昭和53年、71歳のときに人間国宝となりました。

 

代表作としては柳蹴彫銀壺や蝶文銅花器

 

銀細線文筥や金銅方形文筥と言った作品があります。

 

 

 

特徴

 

内藤四郎の作風の特徴は

 

他に類を見ないと言われるほど斬新な作風にあります。

 

正倉院の金工品の調査に加わった経験や

 

エジプトの工芸品にも興味の目を向けていた事から

 

見事な彫金のフォルムを作り上げています。

 

 

 

内藤四郎が得意とする材質と技法について

 

・方解石

 

石灰岩でもある無水炭酸塩鉱物の一つです。

 

六方晶系や三方晶系の形をしており

 

複屈折も特徴的と言われています。

 

内藤四郎はその方解石を、作品に

 

組み込んでいることでも知られています。

 

・蹴彫

 

たがねを使った彫金技術です。

 

奈良時代に誕生し、刻むことで文字や模様を

 

作り上げていきます。

 

また溝は綺麗に掘られていると言うより

 

三角形が連続して掘られた形となります。

 

・平脱

 

平文の中国読みです。

 

金・銀の薄箔に毛彫を施し、漆を塗っていきます。

 

 

 

製作と研究を続けてきた内藤四郎

 

内藤四郎は昭和631月に息を引き取ります。

 

幼い頃に故郷の四谷にて名工達の作品を見て

 

感動したという気持ちは

 

作品製作及び数多くの研究をしてきた経験の中でや

 

彫金家として大成してからも

 

最後まで変わらなかった事が感じられます。

 

 

 

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