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生野祥雲斎【人間国宝/竹芸】

生野祥雲斎(しょうのしょううんさい)

 

竹工芸家の生野祥雲斎は

 

1904年、大分県に生まれました。

 

石城尋常高等小学校を卒業した後

 

19歳の時に佐藤竹邑斎に師事して

 

竹工芸を学んでいます。

 

2年後には独立し、夢雀斎楽雲と称しましたが

 

後に京都妙心寺管長の神月徹宗に

 

生野祥雲斎と名付けてもらいました。

 

その後34歳からは8年間

 

大分県の工業試験場で商工技手として勤務しています。

 

その間にも自身の作品の制作は続け

 

1940年に文展で初入選を果たしました。

 

1943年には同展で「銘心華賦」が特選を受賞します。

 

また52歳で日展に出品した作品は日展北斗賞を受賞し

 

翌年には作品「炎」が

 

日展特選・北斗賞を受賞しました。

 

これらの功績が認められ、

 

1977年、73.歳で竹工芸では初めての

 

重要無形文化財保持者に認定されています。

 

 

 

生野祥雲斎の作品の特徴と技法

 

生野祥雲斎は、初期の作品では精密で技巧的な

 

職人気質を感じられるものを

 

主に制作していましたが

 

展覧会に出品を始めた頃から

 

個性的で芸術性を兼ね備えた

 

造形表現に秀でた作品を

 

発表するようになりました。

 

後年になると、曲線を意識した造形美に加えて

 

使い心地も重視した作品を制作します。

 

芸術性と機能性を両立させ

 

より完成度の高い作品を目指しました。

 

主に、透編組物や筒物などが得意で

 

竹の持つしなやかなさ、強靭さ、清楚感を

 

上手く使いこなした作品が特徴的です。

 

 

 

生野祥雲斎の評価される所以

 

生野祥雲斎の作品は

 

その極めて高い技術が評価されています。

 

特に「したたれ編仿古花籠」という作品は

 

胴の部分はしたたれ編み、肩から首にかけては

 

数種類の伝統的な編組法が駆使されており

 

生野祥雲斎の緻密な編組技術が

 

凝縮されているものと言えます。

 

この作品をはじめとして、独自の創作力で竹工芸を

 

このような高い芸術性ある域にまで引き上げた

 

生野祥雲斎の功績は、高く評価されました。

 

そして、初めて竹工芸で人間国宝に認定された生野は

 

全国の竹細工職人の先駆けとなったと共に

 

日本の竹文化における

 

道標的な存在であると言えるでしょう。

 

 

 

秋山信子【人間国宝/衣装人形】

秋山信子(あきやまのぶこ)

 

秋山信子は1928年に大阪市に生まれました。

 

27歳から人形作家の大林蘇乃に師事し

 

その技術を学んでいます。

 

秋山はその4年後、日本伝統工芸展で出品した

 

「望郷」が早くも初入選を果たしたのを皮切りに

 

そこから同展で受賞を繰り返して行くと共に

 

全日本女流人形展での受賞や、

 

個展の開催などに成功して行きました。

 

そのほか、日本伝統工芸展に出品した作品が

 

50歳の時から2年連続で文化庁の所蔵となり

 

1981年には韓国の芸術家との共同展を

 

韓国で開催するなど、海外でも活躍しています。

 

65歳の時には皇太子殿下への献上品「迦陸贅」の

 

人形の制作なども行い、3年後の1996

 

「衣装人形」の分野で人間国宝に認定されました。

 

 

 

秋山信子の作品の特徴と技法

 

桐塑(とうそ)人形とは、桐塑という桐の木の粉を

 

糊に混ぜて粘土状にしたものを、

 

桐の木の芯に付けて成形していきます。

 

乾燥するまでは、柔らかく自由に形を変えたり

 

整えたりできます。

 

その後によく乾燥させて硬化させます。

 

また、和紙貼、木目込みなどの技法で

 

人形全体を仕上げていきます。

 

秋山信子の作品の特徴は、愛らしさの中にも

 

内面的な芯の強さが表現されている点です。

 

作品のモチーフには

 

沖縄八重山の風俗、芸能をはじめとして

 

各地の祭礼行事の1コマが取り入れられており

 

情緒豊かな独自の世界観を演出しています。

 

 

 

秋山信子の評価される所以

 

秋山信子は、沖縄やアイヌを題材とするだけでなく

 

アジアやシルクロードなど

 

その主題は海外のものにまで及んでいます。

 

様々な国の風俗や文化にも着目し

 

表情豊かな人形制作を通して

 

様々な人々の日常生活を紹介しています。

 

 

 

秋山逸生【人間国宝/木象嵌】

秋山逸生(あきやまいっせい)

 

木工芸家の秋山逸生は

 

1901年に東京都に生まれました。

 

10代の頃から芝山象嵌師の島田逸山に師事し

 

芝山象嵌技術を習得します。

 

また、兄である秋山聴古から木画技法、

 

彫金師の桂光春にも学び、21歳の時に

 

島田と一緒に千葉県市川市に移住しました。

 

1949年に千葉県美術展覧会に出品した

 

「透輪文象嵌箱」が千葉県教育賞を受賞すると

 

その後も受賞を重ね、69歳の時には

 

千葉県指定無形文化財保持者に認定されています。

 

そして1987年、86歳の時に木象嵌の分野で

 

重要無形文化財保持者に認定されました。

 

また、同年、紺綬褒章を受章しています。

 

 

 

秋山逸生の作品の特徴と技法

 

秋山逸生の作品には、

 

芝山象嵌技術が多用されています。

 

江戸時代の後期に

 

上総国芝山村(現千葉県山武郡芝山町)出身の

 

大野専蔵により考案されました。

 

芝山細工は漆工芸の一つで象牙や紫檀の素地に

 

牙や角、サンゴ、鼈甲、翡翠、螺鈿などを装飾し

 

文様を作り出す技法です。

 

象嵌とは象り(かたどり)、嵌める(はめる)の意味で

 

木工芸の技法の一つです。

 

その技法は正倉院の宝物などにも多く使われています。

 

秋山逸生の作品の特徴は、紫檀、黒檀、欅などの

 

木地に象嵌装飾を施す技法を用いる作品で、

 

とても繊細で華やかな作風を得意としています。

 

 

 

秋山逸生の評価される所以

 

秋山逸生は、木象嵌の分野では初めての

 

人間国宝の認定者になりました。

 

奈良時代の木画の技法を用い、貝や象牙、

 

さらに金、銀、赤銅などを用いたその作品は

 

近世の精緻な木象嵌技法に古典的な木画の技法を加え

 

その技法を高め確立させたものです。

 

さらに、金などの金属を用いた木象嵌なども創案し

 

独創的な世界観を創りだしました。

 

今日、芝山象嵌の技法を伝承する者は極めて少なく

 

秋山逸生の作品は伝統の美と独自の技術を兼ね備えた

 

貴重なものと言えます。

 

 

 

室瀬和美【人間国宝/蒔絵】

室瀬和美(むろせかずみ)

 

漆芸家の室瀬和美は、1950年東京都で生まれました。

 

父は同じく漆芸家の室瀬春二です。

 

1970年に東京芸術大学美術学部工芸科に入学し

 

在学中に安宅賞を受賞すると、

 

その2年後の1975年には第22回日本伝統工芸展に

 

「冬華文蒔絵飾箱」を出品し初入選を果たしました。

 

34歳の時に池袋西武百貨店本店での

 

1回個展開催に成功すると、翌年には

 

32回日本伝統工芸展で蒔絵飾箱「麦穂」が

 

奨励賞を受賞しています。

 

その後、第2回の個展の開催にも成功し

 

1991年に目白漆芸文化財研究所を開設しました。

 

また、46歳からは

 

三嶋大社蔵国宝「梅蒔絵手箱」を模造制作しています。

 

それからも個展の開催や作品の制作、

 

数々の展覧会での受賞を重ね、

 

2008年、58歳の時に、蒔絵の分野で

 

人間国宝に認定されました。

 

同年に紫綬褒章も受章します。

 

ちなみに、「漆の文化」(角川選書)、

 

「室瀬和美作品集」(新潮社図書編集室)

 

などの著書もあります。

 

 

 

室瀬和美の作品の特徴と技法

 

室瀬和美が得意とする技法は

 

「研出蒔絵」という技法です。

 

漆地の表面に漆で文様を描いて

 

金粉や色乾漆粉を蒔き付けます。

 

漆が固まったらその上からまた漆を塗り

 

硬化させて研ぎ、そして磨いていきます。

 

ここで最初に描いた文様や金粉などを

 

微妙な加減で浮き上がらせていくのです。

 

幾層にも漆で塗り固められた文様や金粉を、

 

研ぎと磨きで立体的な図柄に仕上げていく技法です。

 

 

 

室瀬和美の評価される所以

 

昔の作品は平面的な蒔絵が多かったのですが

 

室瀬和美の蒔絵は特に立体的に描かれています。

 

金粉をたくさん使った金色の部分と

 

沈んだ漆の飴色を上手く利用して

 

濃淡を付けて立体的に描いていくためです。

 

このような伝統的な技法を応用して濃淡を出す反面

 

現代的な感覚で図柄を描いく技術は

 

高く評価されています。

 

また、室瀬和美は漆芸文化財の修復も行っています。

 

金刀比羅天井画の復元や琉球古楽器復元など

 

絶えていた技法の復活にも貢献しました。

 

 

 

鹿児島寿蔵【人間国宝/紙塑人形】

鹿児島寿蔵(かごしまじゅぞう)

 

人形作家、そしてアララギ派の歌人であった

 

鹿児島寿蔵は、1898年に福岡市で生まれました。

 

15歳で小学校を卒業後、

 

教育関係の材料を取り扱う製作所に就き

 

博多人形に彩色を施す仕事をしていました。

 

その当時、同僚であった有岡米次郎の独立に伴い

 

彼を師事して本格的な人形制作に

 

力を注いでいきました。

 

1917年に福岡市内に窯を構えると

 

テラコッタ風の手稔り人形などを制作し、

 

22歳の時には個展を開きました。

 

この制作活動中にも、岡田三郎助からデッサンを学び

 

技術向上も休みなく続けていたと言われています。

 

同年、上京すると1930年に人形美術団体「甲戊会」を

 

掘柳女、野口光彦らと共に結成しました。

 

この頃から、紙塑の研究に没頭し

 

「紙塑人形」の技法を創案しました。

 

その後35歳の時には日本紙塑芸術研究所を開設し

 

1936年の第1回帝展に「黄葉」を出品、

 

1938年に「桐塑」を創案しています。

 

また歌人での活動は、「アララギ」で

 

土屋文明、島木赤彦らを師事。

 

1928年から「歌壇風聞記」を「アララギ」に

 

10年ほど連載し、1945年に潮汐会を結成

 

「潮汐」を機関誌として発行しました。

 

やがて1961年、63歳の時に

 

重要無形文化財保持者「紙塑人形」(人間国宝)に

 

認定されます。

 

また、69歳の時には文化財保護審議会専門委員を務め

 

同年、紫綬褒章を受章しました。

 

 

 

【鹿児島寿蔵の作品の特徴と技法】

 

鹿児島寿蔵の得意とする紙塑の技法は

 

和紙を原料に楮、三椏などの繊維を煮て溶かし、

 

糊、桐粉、胡粉などを加えていくものです。

 

長時間かけてつき混ぜて粘土状にします。

 

この粘土状のものを肉付けすることで

 

人形に成形していきます。

 

もともと紙塑人形は鹿児島寿蔵が考案した技法で

 

その和紙の持つ柔らかさ、温かさや、

 

衝撃や湿度などにも耐えうる

 

堅牢さなどの利点を持っています。

 

 

 

【鹿児島寿蔵の評価される所以】

 

鹿児島寿蔵は楮やパルプなどを素材にして

 

自身で染めた和紙を用いて塗り重ねる

 

「紙塑人形」の技法を確立させました。

 

また、アララギ派の詩人としても活動しており

 

詩人と人形作家の創造性が深く関わり合った

 

独自の感性で、幻想的な作風を築いています。

 

 

 

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