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金鵄勲章・・・戦前の日本の勲章

功七級金鵄勲章

(写真)功七級金鵄章

金鵄勲章とは

金鵄勲章は、1890年(明治23年)の紀元節(2月11日)に、明治天皇が発した「金鵄勲章創設ノ詔勅」によって創設され、同日に「金鵄勲章ノ等級製式及佩用式」によってその製式等が定められました。「武功抜群ナル者」を、「功一級」から「功七級」まで7等級の功級に叙した上で、勲章を授与しました。 画像は功七級金鵄勲章です。
デザインは神武天皇が東征のみぎりに金色の霊鵄が弓にとまり、長髄彦の軍勢がそれに目が眩んで降参したという逸話に基づいています。赤色七宝の旭光の上に金色の霊鵄を配し、下に大神宮の盾、矛、剣を配した物です。功級により金鍍金の範囲が異なりますが、ほとんどの等級で意匠は同一のものになっています。裏面の装飾はありません。功一級の副章及び功二級の正章のみ、斜めの旭光部分に黄色七宝が用いられています。
受章対象は軍人軍属のみでかつ相応の戦功がなくては授与されず、大将や皇族軍人といえども相応の武功がなければ授与されなかった貴重な勲章です。

宝冠章・・・戦前の日本の勲章

宝冠章とは

宝冠章は、1888年(明治21年)に勲一等から勲五等までが制定さてました。 その後の1896年(明治29年)に勲六等から勲八等までが追加で制定されました。 以後長らく八等級での運用が行われ、この勲章は授与対象を女性に限定した唯一の勲章で、勲章制度の男女均等を図った栄典制度改訂後の現在でも女性のみに授与されるものとなっています。 画像は勲七等宝冠章・略綬(右)です。
デザインは、古代女帝の宝冠を縦長の楕円、竹枝が両脇を囲みます。大綬章(旧勲一等)から杏葉章(旧勲五等)までの正章は、楕円の内周部と外輪部の縁まわりに天然真珠(パール)を用いています。内側の楕円は青、外側の楕円は赤の七宝で彩色され、縁の楕円四方には桜花が置かれています。地金は純銀で、大綬章(勲一等)から藤花章(勲四等)までは全体に金メッキが施されています。他の勲章もそうですが宝冠章の鈕(章と綬の間にある金具)は勲章の位によってその形状が異なり、古く宮廷に仕えていた女官の装束にあしらわれている紋をそれぞれモチーフにしています。紐の紋様は、最上位の大綬章から「桐花」「牡丹」「白蝶」「藤花」「杏葉」「波光」の順となっていますが、七等と八等は紐がありません。
受章者の最高位は勲二等宝冠章で、奥むめお(元参議院議員)ら女性政治家や、中根千枝(社会人類学者)が受賞。勲四等宝冠章の授与としては知られているのは、芸人の内海桂子ら社会的活躍の著しい女性に贈られています。

 

勲七等宝冠章

(写真)勲七等宝冠章

TOMY(トミカ)のミニカーはお宝!?

TOMY(トミカ)のミニカーはお宝かも!?

ミニカー (和製英語) は、自動車をさまざまな素材、縮尺でモデル化した玩具・模型の総称となっており、 安価なものは子供の玩具として用いられ、高価格帯のものは大人の鑑賞用としても用いられています。素材は亜鉛合金製が最も多い。スチロール樹脂製のプラモデル、金属製キットなどの組み立て式の自動車模型やラジコン、スロットカー等自動走行機能を持ったものを広くミニカーに含める場合もあります。かつては模型店や玩具店で購入する事が一般的でしたが、近年は専門店や家電量販店での発売も増えつつあります。また、観賞用ケースに入った状態や分冊百科として書店などで販売されたり、コンビニエンスストアなどで飲料のおまけとして販売される例も多く、流通経路も多様化しています。

 

ミニカーの代名詞ともいえる「トミカ」は、昭和45年からタカラトミー(旧・トミー)のTOMYブランドより販売されている車玩具です。トミカが発売された当時、国産車のミニカーといえばダイヤペット(米沢玩具→現・アガツマ)やモデルペット(アサヒ玩具)に代表される標準スケールが中心であり、小スケールミニカーは細々と輸入される海外ブランドしか存在しませんでしたが、この状況に目をつけ、国産車の本格的小スケールミニカーとして発売されたのがトミカである。日本初の国産ミニカーとして、その精巧なモデリングと、扉の開閉、タイヤの稼働などプレイバリューの高さから、世界30カ国以上で愛されている大ヒット商品です。これまでに販売されてきた商品ラインナップは数知れず、世界中でコレクターも多く、日本製の黒箱・青箱、レアリティの高い限定品や少数生産品、ホンコントミカなど、絶版・レアなアイテムの中には驚きのプレミア価格で取り引きされていることもあります。また、販売時期やカラーリング(塗装)によっても価値が変わり、奥深いコレクションアイテムです。

 

昭和45年に発売され絶大な人気を博したトミカは、翌昭和46年、予想以上の需要と急速な品番拡大に対応するため、香港へ下請け生産に出されました。これらが「ホンコントミカ」と呼ばれるもので、ホンコントミカには、ホンダNⅢ360・カローラスプリンター1200SL・カペラロータリークーペ・ギャランGTO-MR・セドリック・ダットサントラックの6車種があります。ホンコントミカは、モデルの出来や塗装の品質が国内生産のものと比べ劣っており、トミーが早々に生産を取りやめ、金型を引き取ってしまったためどれも生産数が少なく、大変貴重なものとなりました。うち、カローラスプリンター1200SLやダットサントラックについてはカラーリングを変えたり、金型を改修したりし日本で再生産されましたが、カペラロータリークーペ・ ギャランGTO-MR・セドリックは金型が破棄されてしまい、ホンダNⅢ360は金型が紛失したと言われており、この4台は再生産されることなく、現在に至っています。
ホンコントミカの特徴は、塗装がやや厚ぼったく艶があまりない、特有の1Bというタイプのホイールを履いている、テールランプが着色されている、ハンドルがやたら大きく、箱には「Made In Hong Kong」の記載があります。

懐かしの「ソフビ」の玩具(おもちゃ)

懐かしの「ソフビ」の玩具(おもちゃ)の歴史と概要

日本では、ノベルティグッズやアクションヒーロー、アニメのキャラクターなどソフビ人形が1950年代以降、数多く出回ってきました。
ソフビは、ソフトビニールの略で正式名称は「PVC(ポリ塩化ビニル)」。本来はポリ塩化ビニル一般を指す言葉ですが、「ソフビ」と言った場合はスラッシュ成形という製造方法で加熱し、金型に流し込んで成型された製品のこと。また、おもちゃで「ソフビ」といえば、ソフトビニール人形(ソフビ人形)のことを指します。
ポリ塩化ビニルを用いる以前は、人形の素材にはセルロイドが多く使われていましたが、その可燃性の高さから危険性を指摘され、1955年にアメリカで可燃物質規制法が成立し、日本のメーカーは玩具をアメリカに輸出できなくなりました。その代わりの素材としてポリ塩化ビニルが選ばれ、ソフビ人形が数多く生産されるようになりました。

 

ソフビは主に間着と呼ばれる接合法が用いられ、くびれを設け回転可能な関節を形成します。ソフビは子供用の玩具として開発されたものであるため、子供が多少手荒に扱っても壊れにくく、簡単には外れたり破損したりしない接合法で作られており、丈夫な品質も玩具としての評価が高い要因であり、ソフビの利点であると言えます。
ソフビといえば怪獣ものを指しているケースが多くありますが、ソフビは元来、幼児や女児向けの人形に使われていました。1966年にマルサン商品が販売した「ウルトラQ」や「ウルトラマン」に登場する怪獣のソフビがブームに乗って大ヒットしたことから、以後は怪獣や歴代のウルトラマン・仮面ライダーなどの男児向けのキャラクターも含めて玩具として定番の商品となっています。また、女児向けの着せ替え人形も長年ソフビで作られており、現在ではソフトビニール素材がポピュラーです。

 

怪獣やヒーローのソフビはコレクターに高い人気があり、ゴジラやガメラなどの映画怪獣のほか、ウルトラマンや仮面ライダー、スーパー戦隊などのテレビシリーズの特撮ヒーローものはコレクター向けに高値で取引されています。

 

世界では古い日本アニメが数多く放送されており、日本ではかつての人気はなくなった怪獣や特撮ヒーローなどは海外の視聴者にとって今でも非常に夢中になるもので、そのソフビ人形は人気を博しています。ガチャガチャの商品として出てくる小型のソフビ人形も人気がありますが、海外ではかつてのソフビ人形も人気があります。
ソフビ人形は、世界中で愛好家・コレクターの多いジャンルで、有名なものとしてはマルサン商店のウルトラマンシリーズの怪獣、ブルマァクの怪獣ソフビ、タカトクのソフビ人形、バンダイの怪獣ソフビなどがあります。また、浅草玩具の手踊りソフビ人形、ポピーのジャンボマシンダー、マスダヤ(増田屋)のトーキングソフビ、中嶋製作所のソフビ人形などもコレクターに人気があります。

人気!「ブリキ」製おもちゃの歴史

人気!「ブリキ」製おもちゃの歴史と概要について

コレクターズアイテムとして高い人気を持つブリキのおもちゃ。
最近ではマニアでなくとも部屋のオブジェとして飾られたり、美術のモチーフにされたりするなどその魅力は多くの人の心をとらえています。

 

ブリキは、錫(すず)をメッキした鋼板で、加工しやすく錆などの腐食を防ぐようにした素材で、玩具として丈夫で耐久性にも優れています。
日本でブリキのおもちゃが登場したのは明治で、当初は外国の模倣に過ぎませんでした。しかし、次第に日本独自の優れたおもちゃが開発されます。第一次世界大戦まではドイツがブリキおもちゃの世界一の生産量を誇っていたが、ドイツが敗戦したため、欧米を中心に当時の新興国である日本へ世界からの注文が殺到し、ブリキのおもちゃは日本を代表する輸出品となっていきました。その後、日本も戦時中は、ブリキのおもちゃの製造やアメリカへの輸出が禁止され、製造は停滞したが戦後になり、日本の玩具メーカーは、米軍の残した空き缶を再利用するなどして、ブリキおもちゃの製造を再開しました。
全盛期は戦後1950年代から1960年代で、この当時に製作されたブリキのおもちゃは日本人らしい丁寧な造作と形状のユニークさ、可愛らしさなどで世界的に評価が高く、稀少価値の高いものや保存状態の良いものは高価な値段で取引されています。

 

主なメーカーはヨネザワやブルマァク、野村トーイ、マスダヤ(増田屋)などで、ロボットや人物、乗り物などの郷愁をそそるデザインや造形には現在でも根強いファンがいます。

 

日本は高度成長期に入ると、人件費の高騰や素材として安価なプラスチックの主流化や技術的に進歩したダイキャスト(合金鋳型)に移行し、徐々にブリキのおもちゃの製造が減少しました。しかし、現在でもビリケン商会などが高品質のブリキのおもちゃを製造しており、ブリキおもちゃ文化を継承しています。
戦後直後の日本のデザイン文化を今に伝え、現在では見ることのできない愛らしさや味わいを感じさせる貴重なアイテムとして、ブリキのおもちゃは高い評価を受けています。

 

日本国内ではブリキの板をロボットや自動車・電車・船舶・航空機など乗り物のような形に成形・塗装した玩具を「ブリキのおもちゃ」と呼び、大きく分けるとゼンマイ式と乾電池で動くタイプがあります。
乾電池で動くタイプのブリキのおもちゃの価値はまずきちんと動くかが重要です。この状態の次は、稀少性。そして最後は需要となります。年代はあまり価値に関係がありません。
他にもクロスオーバーと呼ばれるものがあり、例えばサンタのバッテリー貯金箱などは、サンタコレクター、バッテリー・トイコレクター、貯金箱コレクターの3分野から需要がありその価値は上がります。

「超合金」玩具(おもちゃ)の歴史

「超合金」玩具(おもちゃ)の歴史と概要

1974年発売の大ヒット商品「超合金 マジンガーZ」からスタートしたダイキャストを使用した玩具シリーズ。

1970年代に少年期を過ごした世代にとって、もっとも思い入れの強い玩具が「超合金」であり、ダイキャストを含む複合素材による重量感・光沢・存在感に加え、発射・合体・変形などキャラクターに応じたギミックを搭載。そのコンセプト・デザイン・アクション性は「超合金」というトイカテゴリーを生んだ、玩具のパイオニアシリーズです。

 

その記念すべき初号機が、1974年に発売されたロボットアニメの金字塔「マジンガーZ」でした。当時の少年たちは、合金トイのリアルさや重さに圧倒されると同時に、スイッチを押すとロケットパンチが発射できるギミックにも酔いしれた。第1期に発売されたマジンガーZには、劇中の設定にはない胸部ミサイルも搭載されていたが、こちらをブレストファイヤー代わりに使い、手遊びする楽しみを広げていきました。
その後は短期間で造形やギミックをブラッシュアップし、グレンダイザーやライディーンといった時代を象徴するロボットをリリース。1976年にガイキングで初の変形・合体を実現すると、それからは破竹の勢いで進化を遂げて行きます。  合金トイ時代を創造したビッグブランドだけに、ノスタルジーをともなう当時物の価値は高く、初代マジンガーZの美品には高値がつけられています。  破格をものともせずに収集するコレクターが多数いることも超合金の実力の証でしょう。

 

初の超合金ロボットとして誕生したマジンガーZですが、新商品が販売されるなど非常にコアなファンを獲得しており、昔は遊ぶ目的で使用されていたが、コレクションとして集めるといった人も多く存在し、少しサイズが小さいものも販売されています。
マジンガーZの超合金シリーズは、非常に多く存在し、最初は従来のロボット玩具の概念を壊す勢いで、重量感を感じさせるようなロボットを作るということを目的に作られました。そこから初の超合金ロボットが作られ、かなり重量感のあるものとなりました。しかし、重さ故の欠点があり、子供が遊ぶことができなくなり、少し重量感をなくし子供でも遊べるようなロボットに生まれ変わりました。
ミニサイズから、大人が持っても十分な大きさのビックサイズのマジンガーZが存在しており、40周年では特別なスタイルのマジンガーZが販売されました。
超合金は、他にも存在しますがマジンガーZはリアルさを追求しており、作中に出てくるリボルバーや装甲品の数々を細部まで再現されており、普通の超合金ロボットとはひと味違います。
リアルタイムでマジンガーZを見ていた人にはたまらない仕上がりになっています。

「リカちゃん人形」の歴史と希少価値

「リカちゃん人形」の歴史と希少価値について

リカちゃん人形は、日本の事情に見合った大きさのドールハウスと、それに合ったサイズの独自の着せ替え人形としてタカラ(現・タカラトミー)が企画・開発をし、1967年の7月4日に1体600円で発売が開始されました。人形だけでなく、リカちゃんを運びそこで遊ぶことも出来る「ドリームハウス」(980円)も同時に発売されました。

 

リカちゃん人形の企画にあたっては、日本の女の子たちにより身近に感じられるようなファッションドールというテーマが掲げられ、小学5年生という設定と小さな女の子の手の平に収まる身長21cmという大きさで作られており、アメリカのバービー(マテル社)やタミーちゃん(アイデル社)と比べると小さめに作られています。
また、当時流行していた少女漫画のヒロインのような顔立ちが採用され、「リカちゃん」という名前は月刊少女漫画雑誌「りぼん」の1967年7月号誌上の一般公募で決定されたことになっていますが、実際には発表号をずらして読者ではなくタカラ側が命名し、日本人でも外国人でも通用する名前をということで「リカちゃん」となりました。
現在でも日本の着せ替え人形の代表として人気のある人形です。

 

リカちゃん人形は発売されてから現在まで、何度かモデルチェンジを行い、限定品も発売されてきました。
1967年に発売されたリカちゃんは爆発的人気となり、1972年に2代目、1982年には髪の色が明るい茶色や金髪も誕生の3代目とリニューアルされながら発売され、1987年に身長も高く、スタイルの良い4代目が発売されました。1992年にはピンキーピンクリカちゃんが発売され、5代目と呼ぶこともありますが、あまり売れず1年で販売終了したため、現在のバージョンは人気のある4代目が発売され続けています。
コレクターの間では初期の頃に作られたリカちゃん人形の人気は高く、保存状態にもよりますが、初代リカちゃん人形は、発売時から約1年間は腰部にジョイントが無く、お腹におへそのあるボディであったため稀少価値が高く、高値がつけられています。
また、マクドナルド・ミスタードーナツ・サンリオなど子供が好む飲食店やキャラクターとタイアップしたリカちゃんも販売されており、こちらの人形も高値が期待できるリカちゃん人形となっております。

 

リカちゃん人形の洋服や小物類については、初出荷の時に付属品としてついていたアイテムなどはそれだけでも十分価値があります。

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