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帝都復興記念章・・・戦前の日本の勲章

帝都復興記念章

帝都復興記念章とは

大正12年(1923年)9月1日の関東大震災からの復興を記念して、昭和5年8月13日に制定され、帝都復興事業に直接、又は伴う要務に関与した者に授与されました。その後、昭和7年(1932年)4月1日に廃止されました。

 

1923年(大正12年)9月1日に発生した大正関東地震による被害は甚大なもので、復興計画は政府主導で行われました。第2次山本内閣の内務大臣に就任した後藤新平は、復興事業について、計画決定から各省所管事務、自治体の権限すべてを集中する「帝都復興省」を設立しようとしましたが、各省の強い反対に遭い、東京と横浜における都市計画、都市計画事業の執行など復興の事務を掌る帝都復興院を設立して、いわゆる後藤系官僚を結集させました。事業規模は当時の経済状況をかんがみて縮小され、当初の焦土買い上げという後藤の「大風呂敷」は実現せず、農地整序につかっていた区画整理が展開されることとなりました。
デザインは、造幣局、賞勲局の嘱託として記念メダルやレリーフなどを制作していた畑正吉で素材は銀製。

筆について

毛の種類
剛毛(馬、山馬、狸、鼬、鹿など)

・馬毛…「天尾」は馬の尻尾の付け根辺りの毛で剛毛筆の高級筆。

・山馬毛…東南アジアに生息する水鹿の一種の毛。今日では良いものは入手困難な為高価。

・狸毫…狸の毛で高級品。

・鼬毫…鼬の毛で高級原料として使われる。

・狼毫…中国北方に棲息する鼬の一種の尻尾。

柔毛(羊・猫・兎など)

・羊毛…中国の江南地方に生息する山羊の毛。

「羊毫」「純羊毫」「純白羊毛」に分けられる。

「宿浄純羊毫」「細光鋒」「細微光鋒」「細光鋒」「粗光鋒」など純羊毫でできた筆は高価。

・玉毛…猫の毛。毛質に粘りがあり、あたりがソフトで鋒先が利く。

・紫毫…ほとんどが野ウサギの毛。

中国では紀元前から原料として使用されており、兎の中で一番良い毛とされている。

兎により黒、うす茶などの色がある。日本での常識的な表現は黒色。

「精制大七紫三羊」「選豪円健」などの原毛に使われることが多い。

・白毫…白ウサギの毛。

代表的な唐筆には「写巻」「下筆春蚕食葉声」がある。

剛毛で弾力の強い筆の中でも特に強い部類に入る。

兼毛(剛毛と柔毛の混合)

狸・鹿・馬毛の毛。組み合わせにより兼剛、柔毛の筆になる。

筆の硬さでは硬いほうに属し、筆先の戻りも良いので初心者に向いている。

リスなどの赤毛や黒い毛の筆が多いが中には白色のものもある。

鼬やコリンスキーに馬尾脇などを混ぜ書道家向けの筆も作られている。

筆選びのポイント

明時代の屠隆は良筆の条件を言い表すのに「尖」「斉」「円」「健」を筆の四徳として言い表している。

「尖」穂先の部分がとがっていること。

「斉」穂先全体がよく整っていること。

「円」穂全体がきちっとした円錐形になっていること。

「健」穂先の腰の弾力がほどよく、筆運びがスムーズであること。

分類

毛…馬毛、山羊毛、狸毛、鹿毛、羊毛、玉毛など

形…長鋒、中鋒、短鋒

産地…唐筆(中国製)、和筆(日本製)

穂先…鋭く尖り、毛先が揃っていて、角がなくしっかりしている形の筆が良い

唐筆

唐筆製作の伝習により製作される中国製の筆。

獣毛を使って現在のような筆を作ったのは秦時代の蒙恬将軍。

管を枯木、柱を鹿毛、被を羊毛で造った筆を始皇帝に献上したのが始まり。

1956年に国営上海工芸が設立され、李鼎和の名柄を中心に名称を変更して製造を開始した

(工房・製造商)

李鼎和、上海工芸、善璉湖筆厰、杭州武林卲芝厳筆荘、中国工藝、戴月軒、金閣、北京湖筆店、蘇州湖筆厰、老周虎臣筆墨荘、善璉湖筆二廠、善璉集芸斎湖筆有限公司、北京李福寿など

(銘柄・商標)

双羊牌、金鼎牌、火炬牌、大極牌、宿浄純羊毫、仿蘭蕊式宿凈純羊毫、京さ、二號鶴甲、加料條幅、選毫圓健、蘭蕊羊毫など

和筆

日本の三筆(平安時代初期)…空海、嵯峨天皇、橘逸勢。日本書道史上最も優れていた能書家

寛永の三筆(江戸時代初期)…本阿弥光悦、近衛信尹、松花堂昭乗

平安時代の三跡…小野道風、藤原行成、藤原佐理

世尊寺流の三筆…藤原行成、世尊寺行能、世尊寺行尹

黄檗の三筆…隠元隆琦、木庵性瑫、即非如一(江戸時代に来朝した黄檗宗の僧)

幕末の三筆…市河米庵、貫名菘翁、巻菱湖

明治の三筆…日下部鳴鶴、中林梧竹、巌谷一六

(生産地)

熊野筆…広島県熊野町。全国の筆の80%が生産されている

川尻筆…広島県川尻町。現在、全国シェアの約20%を生産

江戸筆…練り混ぜ法(元禄時代、細井広沢によって確立された手法)で明治5年、学制発布と共に広まった

豊橋筆…水を使い練り混ぜを行う為、墨吸が良く墨はけが遅いが墨になじみやすいため書き味が良い

仙台御筆…宮城県仙台市。宮城野萩を軸に作らており、竹軸より少し重いが手になじむ

奈良筆…獣毛(馬、狸、羊、鹿など)を使い練り混ぜ法で作られている

固め筆…関西。筆先の半分から3分の2を崩して使う

捌き筆…東京・新潟・仙台。軸際まで墨を付けて使う

原料(煤、膠、香料など)

松煙墨、油煙墨、工業煙墨、混合煙墨がある。

・松煙墨…松の枝や根を燃やし採取した煤を膠で固めた墨。

・油煙墨…菜種油、胡麻油、椿油などを燃やし採取した煤を膠で固めた墨。

品質によって四等級に分けられる(油煙101~104)

油煙101→「鉄斎翁書画宝墨」「大好山水」「魯迅詩」がこの方法で作られている。

油煙102→「百寿図」などが代表銘柄といえる。

油煙103→「天保九如」など。

油煙104→「紫玉光」「漱金」が著名。

・工業煙墨…重油、灯油等の鉱物性油を燃やし採取した煤を膠で固めた墨。

・混合煙墨…油煙、松煙を混合した墨。

煤と同じぐらいかそれ以上に墨の品質にとって重要な原料。

獣や魚の皮、骨、腸を煮て作る。日本では獣、中国では魚の膠が多く使われる。

効用はばらばらの煤の粒子を粘性でまとめて墨の形を作り、書いた時に墨を紙などに凝集、浸透、付着させ、墨色に艶や光や透明感を出す。

香料

墨を磨ると良い香りがするが、膠の嫌な臭いを消すのが目的である。

動物性の香りは麝香、植物性の香りは龍脳が珍重される。

 

墨匠名・店名・銘柄

・上海墨廠…曹素功と胡開文の職人等が再編した墨廠。

「鉄斎翁書画宝墨」などの墨が有名である。

・中国画研究院…1977年、前身の「中国画創作組」が結成、1981年「中国画研究院」成立。

初期メンバーは、呉作人、叶浅予、劉海粟、何海霞、黄冑、李可染、劉勃舒、蔡若虹、関山月、崔子範、田世光、呉冠中、黄永玉、謝稚柳など。

・曹素功…明末の名工呉叔大が閉鎖される際、それを譲り受けて継承する形で曹素功は創業される。

歙県に一店舗を営業していたが乾隆時代の後半の第六代目に至り「曹素功引泉」、「曹素功徳酬」、「曹素功堯千」という三店舗に分かれて活動を拡大。

紫玉光(名代墨)、春華秋實、光分太乙、黼黻昭文、仙山桜閣、七香図、綸閣、 山水清音、蘭亭高會、東林蓮社、天保九如、紫閣銘勲、五老遊河、帰昌叶瑞

 

・汪近聖…中国・安徽省績渓県出身の清の乾隆時代に活躍した墨匠。

代表作「圭璧光」

・汪節庵…清の乾隆時代に活躍した墨匠。

代表作「金不換」「黄山十八景 石柱」「乾隆御墨」

・胡開文…清の乾隆30年(1756年)に胡天注が創業した墨店。

現在も中国墨のトップブランドとしてその名を刻み続けている。

・程君房…光被四表、鳥跡書壺、瑞祝照水、百子図、百老図

・方于魯…八吉祥、南極老人、仇池石、九子、青麟髄

・方瑞生…百四図

文房四宝

文房四宝とは中国の文人が書斎(文房)で使用する文具で筆・墨・硯・紙の4種をいいます。

 

獣毛を使って現在のような筆を作ったのは,秦時代の蒙恬将軍が管を枯木、柱を鹿毛、被を羊毛で作った筆を始皇帝に献上したのが始まりと言われています。

唐筆(中国製の筆)と和筆(日本製の筆)に分けられます。

材料は馬、鹿、羊、狸、鼬などの動物の毛が一般的だが竹・鶏毛を使った筆もあります。

毛の硬さによって剛毛・柔毛・兼毛に分けられ、毛の長さによって短鋒・中鋒・長鋒に分けられ、毛の太さによって号数が決められます。

穂先まで麩糊で固めた筆を固め筆、固めていない筆を捌き筆といいます。

李鼎和、上海工芸、武林卲芝厳筆荘などに高価なものがあります。

 

墨(古墨)

中国の周時代(BC240年頃)に季超が案出したと伝えられています。

清時代(1700~1900年頃)までに中国で作られた墨を唐墨、江戸時代(1600~1700年頃)までに日本で作られた墨を和墨といいます。

原料は煤と膠が主成分で少量の香料も配合されています。

古墨の条件はよい原料と製法を用いていることで、保存が良ければ300年以上経った墨でも使用できます。

しかし原料が悪く製法が手抜きの墨は年月が経っても古墨とは呼べません。

明時代の名匠では程君房、方于魯などが有名で、清時代の墨匠では汪近聖、曹素功、胡開文などが有名です。

明清時代が製墨の頂点といわれています。

徽墨(中国安徽省産の墨)四大家を『胡開文』『曹素功』『汪近聖』『汪節庵』といいます。

 

紙(画仙紙)

原料は三椏、麻、藁、竹、雁皮、楮などがあります。

蔡倫(120年頃)によって発明されたと言われていますが、近年の発掘調査では前漢の武帝時代(AC140~87年頃)のものと思われる紙片が発見され、蔡倫以前にも紙があったのではないかとも言われています。

日本には高麗僧曇徴が伝えたとされ、聖徳太子が改良を加え和紙を完成させたと伝えられています。

書道用紙は唐紙、和紙、洋紙に分けられます。

一般的に日本で作られた画仙紙を和画仙/和紙、中国で作られた画仙紙を本画宣(本画仙)/唐紙と呼ばれています。

唐紙で有名な宣紙(安徽省の宣城で生産された画仙紙)の原料は藁(龍須草)と青檀の樹皮などです。

有名なブランドには金星牌、蘭亭牌、紅星牌、汪六吉牌があります。

 

作硯されてからの年月によって新硯、古硯に分けられ、最低でも100年以上(中国では清時代末以前)経っているものを古硯と呼びます。

墨を水で磨り卸すために使う石、瓦等で作ったものをいいます。

和硯(国産)と唐硯(中国産)に分けられます。

墨を溜める窪みを墨池(海)、墨を磨る部分を墨堂(丘)といいます。

形式、彫刻の模様、産地、材質などにより分類されます。

端渓硯、歙州硯、洮河緑石硯、澄泥硯が有名で中国の四大名硯と言われています。

松花江緑石硯、紅糸石硯、陶硯などは墨の降り、発墨が優れており高価に取引されます。

紙(画仙紙)について

唐紙(中国紙)

中国紙として有名な紙は宣紙で本画仙とも呼ぶ。

宣紙(せんし)とは…安徽省涇縣(涇県)で造られる書道、水墨画などに使われる手漉きの上質の書画用紙(本画仙紙)のこと。

中国の書画類はほとんどこの紙で中国の良質紙の代名詞。

安徽の至る所で生産されているが名前だけの宣紙も多い。

安徽省涇縣産の青檀樹(2年生から3年生のもの)の樹皮と砂地で育てた砂田稲草(宣紙製造用に栽培される稲藁)の茎を使い、涇県の山奥から流れてくる鳥溪の渓流水で漉いて作られたもの。

「紙寿千年」といわれ長い間保存が効き1000年以上持つものもある。

明清以後、中国の書画にはほとんど宣紙が使われている。

唐時代、汪伯立筆、李挺珪墨、龍尾硯と合わせて「新安四宝」と称される。

墨で有名な「上海工芸」が品質管理をして輸出していた。

墨の漉き具合、発墨もよく、墨の潤渇、筆の強弱等の変化も出やすい為作品用などに適している。

現在でも書道家の間では唐紙を好む人が多く、一番唐紙、二番唐紙、白唐紙と呼ばれている(日本の俗称)

一番唐紙…やや繊維が粗くざらついて黒色の悪いもの

ざっくりした素朴な感覚を持ち、撥墨も独特の柔らかさ・奥深さを感じさせてくれる趣きるある紙質。

中国福建省土紙「南扣紙(老灰紙に近い紙質)」、浙江省龍遊の「老灰紙(中国産地本来の名称)」等

南扣紙、老灰紙は日本の俗称で中国では「一番唐紙」という呼び方は無く通じない。

*老灰紙…福建省を中心に湖南省や浙江省などで漉かれる中国独特の紙の一つ

二番唐紙…茶色で紙肌も滑らかなもの

スッキリとした抵抗感の少ない紙面を持つ紙料密度の高い紙質だが奥深い趣を  感じることはあまりできない。

中国では「将楽毛辺紙」「玉扣紙(長汀玉扣紙)」と呼ばれている。

将楽毛辺/玉扣紙、粉連紙、福建玉版宣等

白唐紙…白く墨色も出てやわらかいもの

和紙(日本紙)

日本に製法が伝わったのは推古天皇の時代(592~628年)。

三椏を主原料として楮を混ぜた紙料で、中国の唐紙を模して漉いた大判の紙。

原料による種類

麻紙…白麻紙・唐麻紙・色麻紙・長麻紙があり、しなやかで光沢があり丈夫で写経用紙や日本画用紙として使われている。

雁皮紙…雁皮を原料とした紙。栽培が難しく生産量が少ない為貴重。

薄手のものを雁皮紙、厚手のものを鳥の子紙と呼ぶ。

半透明で光沢があり、きめが細かく美しい艶がある。かな書き用の書道用紙。

三椏紙…繊維が柔軟できめ細かい紙肌を作るのに適しており手触りが非常に滑らかな紙。 かな用に使われる。

楮紙…楮を原料とする紙。古代から代表的な紙。柔軟かつ強靭で光沢がある。

障子紙・表具用紙・傘紙・提灯紙などに使われ、現代では高級品として高級和紙、写経用紙などに使われている。

生産地による種類

美濃紙…美濃国(岐阜県)厚手で丈夫

奈良紙…楮 が原料の薄紙。紙質がやわらかなので「やわやわ」ともいう

吉野紙…奈良紙の製法を受け継ぎ、柔軟で薄いが丈夫

因州紙…鳥取の紙。三椏・竹・パルプ等を混ぜてつくる

石州紙…島根の紙。純楮を使い、漂白しないので茶褐色をしているが、丈夫である

日本製のものを「和画仙」ということもある。日本の画仙紙には、甲州画仙、因州画仙、越前画仙、土佐画仙などがある。 日本製のもので和画仙とも呼ぶ。

原料による種類

麻紙…白麻紙・唐麻紙・色麻紙・長麻紙があり、しなやかで光沢があり丈夫

雁皮紙…ガンピが原料。鳥の子と同質だが薄手のものをいう

穀紙…楮を原料とする紙

(生産地による種類)

美濃紙(岐阜)、奈良紙、吉野紙、因州紙(鳥取)、石州紙(島根)など

硯について

長方硯、円硯、方硯、板硯、天然硯、太史硯、挿手硯

良い条件

・よく磨れること

・筆を傷めない

・安定感があり、ぐらつかない

・硬さが適当で、摩滅しない

・色艶がよい

選ぶポイント

・使いやすさ・耐久性・機能性代表的な硯

唐硯

代表的な硯

端渓硯

肇慶(中国広東省広州辺りにある町)に西江という河が臨んでおりそこに注ぐ谷川を端渓といい、ここで採れる石を使った硯。

○種類

・老坑…最高級の硯材。一定の範囲から産出する硯材のみを「水巖」という。

・坑仔坑…老坑の次にいい硯材。

・麻仔坑…かつて老坑に匹敵するといわれた硯材。

・宋坑…宋時代に開発開始し比較的安い硯材。

緑端渓…比較的長い歴史をもつ端渓硯のひとつ。

白端渓…幻の硯と呼ばれている。名前の通り白色の端渓硯。

歙州硯

端渓硯と並ぶ名硯。

歙県で採れる石を使った硯。羅紋が特徴。

採石期間が短い為現存する硯は少ない。端渓硯の約5%程度と言われている。

鋒鋩がやや粗く、凹凸は鋭く深く大小不同に分布しており磨墨が早い。

洮河緑石硯

北宋中期甘粛省洮県の洮河の深底から採石された硯。

端渓硯を超える名硯とされるが河の氾濫により採石場所が不明となったため、短期間で途絶えた。

現存するものは極めて貴重であり入手はほぼ不可能。現在販売されている端渓緑石、新洮河緑石などは全くの別物。

澄泥硯

江河の砂や泥を使い作られた硯。

唐墨と相性が良い為、超濃墨や超淡墨での作成に最適とされている。

砂の違い、焼成の温度と時間によって色調が変わり七種類に分類される。

(種類)

緑豆砂…くすんだ緑色に青が混ざっており小さな斑点がある。鱔魚黄の次に質が良い

蟹殻青…灰蒼色、青黒色

玫瑰紫…玫瑰(はまなす)のようなくすんだ紫色

蝦頭紅…茹でエビのような赤色に少し青色の層がある

魚肚白…魚の腹側のような紅白色

豆辨砂…黄色に大きい斑点

鱔魚黄…くすんだ黄色、ベージュ。一番質が良い。

和硯

国の伝統的工芸品に指定されているのは、雄勝硯(宮城県)と赤間硯(山口県)の2つ。

雄勝硯

産地…宮城県桃生郡雄勝町

材料…粘板岩(雄勝石、玄昌石) で不純物の無い肌がきめ細かい石。天然漆。キレイな墨をすることができる

石質…雨畑石よりやや柔らかい

技法…荒彫り、ふち立て、加飾彫り、仕上げみがき

雨畑硯

日本を代表する硯の一つ 別名「和端渓」「雨畑真石硯」

産地…山梨県南巨摩郡早川町雨畑区

歴史…元禄時代頃が始まりと言われている

色…蒼黒、淡青、紫色の3色、大半は黒色

石質…緻密な粘板岩で粒子が細かく硯に一番適している。磨墨、発墨が良い

玄昌石硯

現在、一番多く作られている硯で、年間の生産高の約9割を占めている。実用、学童用が多い

土佐硯

産地…高知県幡多郡三原村

墨色が鮮やかで愛硯家の間では「日本一」 と称賛されている名品

色…青黒色で特殊な銅粉を含み金星が見られる

石質…黒色粘板岩で磨墨に優れ溌墨も良く 墨のおり具合がほどよい

那智硯

産地…三重県熊野市神川町神上

石質…鋒鋩(石に含まれる細かい粒子)がきめ細かい。磨墨の速さは遅いが鮮明で美しい墨色が得られる

硯について

瓦、石等が原料で墨を水で磨りおろすために使う道具

文房四宝の王者と言われてきた

和硯(国産)と唐硯(中国産)に分けられる

硯は作硯されてからの年月によって新硯、古硯に分けられる

古硯…最低でも100年以上(中国では清時代末以前)経っているもの

新古の中間的なものを旧硯と呼ぶこともある

硯箱…硯及び附属する道具を収める箱。桐や花梨でできているものが多い

墨池…墨を溜める窪み(海)、墨堂…墨を磨る部分を(丘)

松花江緑石硯、紅糸石硯、陶硯などは墨の降り方、発墨が優れており高価に取引されるものもある

良質な石質とは…硬くてツルツルしていない。石の粒子が細かい。磨った時に墨と石質が混じらない。

石の中の鋒鋩がほどよく混じり合い、ほどよい硬さで石質が溶けることなく墨がおろせる

*鋒鋩とは石英や銅、鉄などの小さな結晶ことで墨を磨る際におろし金のような役割を果たす

歴史
唐硯

前漢時代…平板で磨石(墨が軟剤で磨石によって磨りつぶしていた為)

後漢時代…墨堂、墨池がある硯が出始める

晋~六朝時代…陶磁硯が多く出土しており、主に三足円台硯で墨堂が円形の方形四足石硯も出土している

六朝時代…灰釉、青緑釉がかかった多獣脚円形磁硯が多い

六朝時代末…箕形陶硯(北方系)が出てきて隋、唐時代まで続き、形を変え風字硯、斧形硯などへ発展した

唐時代…陶磁硯(三彩釉多足式円台硯、亀形陶硯、箕形陶硯)が多く出土しており、端渓硯、歙州硯も採掘されていた

宋時代…唐時代で生産された端渓硯の採掘量が増え、太史硯も見られるようになった

元時代…双硯の石暖硯が採掘されている

明時代…老坑が開かれた

清時代…老坑が掘り進められ、大西洞、西洞、東洞、水帰洞などで水巌良材が多く出た。松花江緑石が採掘された

和硯

平安時代ぐらいまで陶硯が使われていたと言われている

室町時代終わり、石硯が作り始められたが実用性がなかった

形式、彫刻の模様、産地、材質などにより分類される

硯の種類
唐硯(中国産)

・端渓硯…広東省産。唐硯の中で最高峰と言われる硯

・歙州硯…安徽省産。端渓硯と並ぶ名硯。

・洮河緑石硯…甘粛省産。洮河の河底の石を使った宋時代の硯

石質によって特級品、高級品、中上級品、中級品などに分類される

・澄泥硯…山西省産。江河の砂や泥を使い作られた硯。

・羅文硯…細い線状の石紋が浮いて見える。

四大名硯…端渓硯、歙州硯、洮河緑石硯、澄泥硯

和硯 (日本産)

・雨畑硯…山梨県産

・玄昌硯…宮城県産

・赤間硯…山口県産

・那智硯…和歌山県産他

・雄勝硯…宮城県産

・土佐硯…高知県産

・高島硯…滋賀県産

・蒼龍硯…高知県

・竜渓硯…長野県産

・紅渓硯…宮城県産

鉄瓶(龍文堂、金寿堂、金龍堂ほか)について

有名工房

亀文堂、龍文堂、金寿堂、金龍堂、正寿堂、鳳鳴堂、青龍堂、光龍堂、萬龍堂、祥雲堂、

瑞雲堂、龍雲堂、龍虎堂、龍方堂、晴寿堂、龍寿堂、金陽堂、金光堂、金青堂、精金堂、雲色堂、光玉堂、紫金堂、など

亀文堂

明治から昭和時代に鉄瓶を制作。

初代は波多野正平。文化13年(1816)京都生まれ

弟の秦蔵六と共に龍文堂四方安平に師事して鋳造を学びその後京都で独立。

彼の作品は人気があり高値で取引されることがある。

(名人)

初代波多野正平、波多野正平、秦藏六、鈴木光重、淡海秀光

秦梅泉、銀秀堂、梅泉堂、日本梅泉、光重堂、湖嚴堂、日本亀文

龍文堂

江戸末期から昭和33年頃まで8代続いた京都の鉄瓶屋。

明治から大正に掛けて高級な鉄瓶を製作。

龍文堂でも本家と分家があり、鉄瓶に龍文堂と在銘が入っている物が本家で作られた物。

2代目の門人には近江の亀文堂がありそれぞれ歴代の名作を残している。

一般的に銘は蓋の裏に入っている。

(名人)

安之介初代~八代、安之助、大國壽朗、上田照房、大國楳翁、河田昌晴、島、西杉、樂沖、井上、彌政、西房、岩本、林

金寿堂

年代物になると本体が錆びていても20万円程の値で取引されることがある。

本体の内側に「金寿堂」という銘が入っている。

雨宮金寿堂はアジアでは特に知られており人気のあるブランド。

(名人)

雨宮宗兵衛、雨宮宗、金森佐兵衛

金龍堂

(名人)

初代大國壽朗、上田照房、名越昌晴、佐野

(金工師)

梅龍軒、勝城

正寿堂

高橋敬典(人間国宝)の店。

高橋敬典(1920-2009)

昭和~平成時代の金工、釜師。長野垤志に師事。山形鋳物の名工。

篦押し技法(鋳型に文様を押してあらわす)で知られ、鋳型作りから仕上げまでを一貫して行う。平成8年茶の湯釜で人間国宝になる。

山形鋳物

山形に伝わる鋳物で、1975年に全国でいち早く伝統的工芸品に指定された。

起源は平安時代、源頼義に従軍した鋳物職人が山形地方にきた際、馬見ヶ崎川の土や砂が鋳物に適することを発見し、この地に留まり鋳物作りを始めたと言われている。

江戸時代、山形城主の最上義光は城下町を大きく再編し、馬見ヶ崎川の北側に鍛治町と銅町を置いた。

銅町の職人が日用品や仏像を生産し、出羽三山参りの流行とともに参拝者の土産品としても人気を博し産地の規模が拡大した。

江戸中期には仏像・梵鐘・燈篭などの大きな鋳物を造る技術も確立し、明治時代には鉄瓶や茶の湯釜などの美術工芸品も作られるようになった。

大正時代以降、鋳造機械の分野が飛躍的に発展し、銅町は機械分野と工芸分野が同居する産地と変化した。

銅町からは名工が多く輩出されており、江戸時代中期に梵鐘の庄司清吉と佐藤金十郎、明治時代に灯籠の小野田才助、茶の湯釜の高橋敬典(人間国宝)などがいる。

(名人)

高橋敬典、釜佐、佐野暘谷、西京、佐藤清光、

南部鉄器

岩手県南部鉄器協同組合連合会の加盟業者によって作られている鉄器。

(南部鉄器が発展した理由)

第28代南部藩主の南部重直は茶道への造詣が深く、領地で採れる高品質の鉄を使い、京都の小泉仁左衛門清行に茶釜を作らせた事が始まりと言われている。

その後、小泉仁左衛門清尊が便利でおいしい湯が沸かせる道具が欲しいと考え、南部鉄瓶が生まれ需要が増えた。

(名人)

小泉仁左衛門(御釜屋)、熊谷志衣子(鈴木盛久工房)、鈴木忠兵衛(鈴木主善堂)、佐々木和夫(薫山工房)、宮伸穂(釜定本店)、田中二三男(田中鉱工房)、水澤繁樹(岩鑄株式会社)、十一代鈴木喜八、鈴木繁吉、十四代鈴木貫爾、金澤鶴斎、有坂、藤田寶壽、藤田源蔵、高橋萬治、

(メーカー)

・岩鋳・藤田(鍋善ともいわれている)

版画について

木版画

彫板、板木、版木、摺り形木、形木などと呼ばれる原版に彫刻刀などで溝を彫り凹凸を付け作られた凸版画のことをいいます。

現在知られている最古の木版画は、唐時代(866年)に作られた金剛般若経の扉絵(中国敦煌)といわれています。

世界最古の木版による印刷物として知られているのが法隆寺に保存されている「百万塔陀羅尼文」です。

伝統木版画

江戸時代、東洲斎写楽などの版画のほとんどが木版画

安定した画を維持する為印刷数を制限し、シリアル番号などを付けて版数を管理する方法。竹中木版竹笹堂(京都)、アダチ伝統木版画保存財団(東京)が浮世絵の復刻版を制作されています。

創作版画

自ら絵を描く、彫る、摺る自刻版画

明治40年山本鼎、森田恒友、石井柏亭が刀画と称していた自刻版画「方寸」を発刊し創作版画運動を始めました。

他に創作版画を作成した人物…石井鶴三、戸張孤雁、織田一磨、石井柏亭の弟

石井鶴三…「版画」という名称を使った先駆けの一人。明治38年「平旦」(山本鼎との同人誌)に「虎」を発表。

織田一磨…明治40年、第1回文展に入選、「方寸」で創作版画活動に加わる。大正7年日本創作版画協会設立に関わる。

石井柏亭…中島青果堂(版元)より「東京十二景」を版行

戸張孤雁、織田一磨、石井柏亭は彫師、絵師、摺師の分業による新版画作品も発表している。

新版画

明治30年前後から昭和初期に江戸時代の浮世絵版画と同じ技法をいかし、版元を中心に彫師、絵師、摺師の分業によって作られ描かれた木版画のことをいいます。

大正版画ともいわれます。

歴史

江戸時代全盛だった浮世絵版画も日清戦争(明治27年)後に力を失い、明治30~40年代頃に衰退していきました。

しかし、大正初期、渡邊庄三郎(浮世絵商)が版元になり伝統的な浮世絵版画の良さをいかし、彫師、絵師、摺師の分業による新しい版画作り(大正新版画運動)を目指し、その考えに賛同したチャールズ・ウィリアム・バートレット、フリッツ・カペラリ、エリザベス・キースらなど外国作家の作品を翻刻しました。

大正時代、渡辺版画店(明治39年創業)が高橋弘明に輸出用の木版画(山水人物画)を要請し販売し出した。

大正4年、橋口五葉が下絵を制作し、大正5年、渡辺版画店より新版画の1作目「浴場の女」を版行

大正5年、伊東深水は渡辺版画店より第1作「対鏡」を版行、名取春仙が「鴈治郎の紙屋治兵衛」(役者絵)を版行

大正7年、川瀬巴水が第1作目「塩原畑下り」「塩原おかね路」(風景版画)を版行

大正7年、中島青果堂(版元)が美人版画「郭の春秋」を刊行

大正10年、吉田博が渡辺版画店より第1作目「牧場の午後」を版行。

大正14年、私家版にて作成開始。

橋口五葉も私家版による作品を制作している。

私家版…自らの工房を開設し全てを監修し作品を発表すること。

大正14年、佐藤章太郎(版元)より三木翠山、吉川観方が美人画を版行

主な作家

橋口五葉、伊東深水(美人版画)、川瀬巴水(風景版画)、名取春仙(役者絵版画)、

山村耕花(役者絵版画)、吉田博(風景、山岳画家)、高橋松亭など

新版画の制作に携わった人物

土屋光逸、高橋弘明、伊藤孝之、石渡江逸、笠松紫浪、井出岳水、楢崎栄昭、小原祥邨、北川一雄、古屋台軒など

成田守兼(美人画)、華泉(美人画)、渡辺幾春(美人画)

小林清親…豊原国周、月岡芳年と共に明治浮世絵界の三傑のひとりに数えられる。

「明治の広重」「最後の浮世絵師」といわれた。

版元

土井版画店…大正時代開業。川瀬巴水、土屋光逸、ノエル・ヌエットの作品を版行。

渡辺版画店、アダチ版画研究所、高見沢木版社、日本版画研究所、馬場静山堂、

芸艸堂(京都)、京都版画院(京都)、まつ九(京都)

西宮書院(兵庫)…山川秀峰、和田三造、大野麦風などの作家作品を発表している

G-SHOCK(ジーショック)の成り立ちと代表作

G-SHOCK誕生の歴史

1981年にカシオ計算機より結成されたPROJECT TEAM TOUGHが1983年に、2年の歳月をかけて開発、初代「G-SHOCK」発表をしたことが始まりです。

 

初代G-SHOCK①

 

当時脆弱性の目立っていた時計業界に、落としても壊れない時計を作りたいという開発者の信念から研究が重ねられました。まず耐衝撃体制からはじまり、対低温仕様・防塵・防泥・初のストップウォッチ機能と着々と開発。今ではTRIPLE G RESISTと銘打たれた、衝撃・遠心重力・振動と3つの重力加速への耐久性をも持ち合わせています。

時計の歴史

1989年、開発当初、デジタル時計のみを作っていました、アナログ時計が開発されたのは6年後です。開発のコンセプトが耐衝撃性である以上、デジタル時計の方がアナログ時計と比べると確実に耐久性と制度に優れるため、デジタル時計が主流となっています。

1998年、アナログ派の要望に応え、次第にアナログ時計の耐衝撃性を高めた開発が進められています。現在では、それぞれの利点を生かしつつ電波時計機能による高精度が図られ、かつ耐衝撃性能も進化し続ける時計が開発されています。

 

G-SHOCK MR-G The G①

「MR-G The G」

 

 

ロジェ・デュブイ(ROGER DUBUIS)の成り立ちと代表作

ロジェ・デュブイとは

1995年に創業。時計師ロジェ・デュブイがジュネーブ時計学校に入学、卒業後ロンジンで数年勤務、パテック・フィリップへ移籍し、1980年自身の工房を開いたのが始まりです。ダイナミックで躍動的なデザインでありながらエレガントで美しいデザインのケース、ジュネーブシールを冠したマニュファクチュールムーブメントをすべてのモデルに搭載、ブザンソン天文台で検定も受けました。完成度の高さや生産数を28本に限定するなどの営業姿勢で一躍その名を知られるようになりました。

時計の歴史

2005年、ブランドを代表するコレクションとなる「エクスカリバー」のダブル・トゥールビヨンを発表。

 

ロジェ・デュブイ エクスカリバー 45 ダブルフライングトゥールビヨン スケルトン㉑

「エクスカリバー 45 ダブルフライングトゥールビヨン スケルトン」

 

2009年、厳格な品質基準ジュネーブシールに加えて、全てのキャリバーに対して専門機関によるテストを行っています。これ以降、スイス公式クロノメーター検査協会においてテストされる事となり、2012年からは全てのムーブメントがスイス公式クロノメーター検査協会の認定を受ける様になりました。

最初の年からマニュファクチュールブランドとしてシンパシーとオマージュの2コレクションを展開し、伝統的技術とアヴァンギャルドなデザインの絶妙なバランスは時計業界を震撼させています。

 

ロジェ・デュブイ オマージュ オートマティック㉑

「オマージュ オートマティック」

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