お電話にてお問い合わせくださいますようお願い申し上げます。
住所 |
〒070-0036 北海道旭川市6条通7丁目31-24 YMSビル1階B号 |
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アクセス | 旭川中央郵便局向かい6条通と昭和通りの交差点角にあるレンガの建物 旭川駅徒歩12分 旭川電気軌道6条昭和通り徒歩2分 |
電話 | 0166-73-5280(フリーダイヤル:0120-900-378) |
営業時間 | 10:00~19:00 |
定休日 | 木曜日 |
駐車場 | 近隣コインパーキング有 ※領収書をご持参いただければ、当店に滞在されたお時間分を清算させていただきます。 |
許可証 | 北海道公安委員会許可 第101020001915号 |
その他の情報 | その他の情報は、特定商法に基づく表記をご覧ください。 |
2020年8月にブランド品や宝飾品の取り扱いはもちろん、遺品整理等に関わる骨董品全般、茶道具、書道具、刀剣武具、絵画、工芸品、古銭、切手に精通した買取専門店くらや旭川店がオープン。
北海道で3店舗目の出店となる「くらや」は、6条通と昭和通の交差する角に位置する、レンガ造りの外壁が印象的な建物の1階に店を構えます。(旭川中央郵便局の昭和通を挟んで向かい)
旭川駅から徒歩12分、バスであれば旭川電気軌道6条昭和通より徒歩2分です。
お車でお越しの際には近隣コインパーキングをご利用くださいませ。(お手数ですが領収書をご持参いただければ、当店に滞在されたお時間分を清算させていただきます。)
「くらや旭川店」の強みは、遺品整理士の認定を受けた鑑定士が在籍していることをはじめ、地元の伝統工芸品(木彫りの熊や優佳良織など)の取り扱いが出来ること…。茶道具、書道具など品物の量が多く査定の難しい商品の買取にも対応可能なことが大まかに挙げられます。
「くらやグループ」は、全国に各ジャンルのプロが在籍することで、ネットワークを活かした確かな査定と販路が確立されていることです。また、テレビ出演多数の鑑定士も在籍しております。
遺品整理などのご相談も沢山頂戴し、増加傾向にあります。少しでもお客様の負担軽減、不安を払拭すべく取り組んでおりますので旭川市に「くらや」という【選択肢】もあるということをご認識いただければ幸いです。
店頭買取、出張買取、宅配買取、LINE査定が対応可能でございます。
わからないことがございましたらお気軽にお電話くださいませ
買取品目
買取実績
絵画には「タトウ箱」や「黄袋」が付属していることがあります。また人気作家の作品では発売時に作品証明書が発行されていることがあります。購入時の付属品が一緒にあることで査定金額UPにつながります。 掛軸の場合、近現代の作家のものだと「共箱」に収まっている方が査定が高くなります。江戸時代の古画ではこの共箱がありませんが、代々家に伝わってきたものだと古い伝世の箱やお蔵の中で大事にされてきたものだと蔵番札が付いていることがあります。いづれも時代考証の役に立つものなので一緒にお持ち下さる方が良いと思います。 勿論、絵画や掛け軸では真贋が最も重要なポイントですが、古いものはではその様子もまた重要なポイントになります。 ※「タトウ箱」とは額縁などを収める箱で、作者や画廊のシール等貼られているものもあります。 ※「共箱」とは作家自身でその木箱に署名(箱書き)したものを指します。
一緒にお持ちいただけるとで査定額のアップが期待できるもの。
★箱
★作品証明書
茶道具、煎茶道具では箱に収まっているものは必ず箱と一緒にお持ちください。例えばお茶碗だと本体・共箱(その作品のための専用の木箱)・共布が揃っています。これは茶碗本体に作家の印(陶印)があり、箱には作家のサインと印があり、近年の工芸作家のものだと茶碗を包む布にも押印されています。 また書付のあるお道具は二重箱になっているものがあります。書付とは茶道の家元や高僧が作品の名前を書き記したもので「書付箱」といわれます。書付箱は茶碗・水指・棗・香合・茶杓や掛物などあらゆるお道具に存在します。
一緒にお持ちいただけるとで査定額のアップが期待できるもの。
★共箱、共布
★書付箱、二重箱
★誂えの良い古布に包まれている場合はそのままご一緒に
宝石やジュエリーでは、ダイヤモンドのグレーディングレポートや鑑別書、ブランドのギャランティ等の証明書や箱などの付属品が揃っている方が査定額のアップが期待できます。 宝石やジュエリーにもハイブランドの製品があります。箱やブティックの販売証などがあれば一緒にお持ちいただくことで高評価となります。 また、時計は箱と保証書も一緒にあれば査定額がアップします。購入時の付属品としてベルトの余りコマや取扱説明書などもあれば査定額のアップが期待できます。
一緒にお持ちいただけるとで査定額のアップが期待できるもの。
★ダイヤモンド → グレーディングレポート
★ジュエリー → 鑑別書や鑑定書
★ブランドジュエリー → 箱や保証書、ブティックの販売証明書
★時計 → 箱、保証書、ベルトの余りコマ、取扱説明書などの付属品
日本刀で一番重要なものは「登録証(銃砲刀剣類登録証)」です。 刀と登録証は必ず合っているものです。複数お持ちの方で刀と登録証が混ざってしまいどれがどれか判らなくなった場合はご相談下さい。 また鑑定書がある場合は、必ずお持ちください。査定金額のUPが期待できます。 鑑定書には新旧2種類があります。旧タイプのものは「貴重刀剣」「特別貴重刀剣」「甲種特別貴重刀剣」があり、新タイプのものは「保存刀剣」「特別保存刀剣」「重要刀剣」などがあります。 稀に古い古文書のようなもので極めが書かれた折紙が付属している刀もあります。
必ず一緒にお持ちいただくもの。
★登録証(銃砲刀剣類登録証)
一緒にお持ちいただけるとで査定額のアップが期待できるもの。
★鑑定書・・・貴重刀剣、特別貴重刀剣、甲種特別貴重刀剣、保存刀剣など。
★箱や伝来書、極め折紙、古くからあるものはそのまま一緒に。
ブランド品には「ギャランティカード」という各ブランドが品質を保証している保証書が付属しています。お使いになるなかで紛失されていることがありますが、あれば一緒にお持ちいただくことで査定額のアップが期待できます。また購入時には保存袋や外箱、ブティックの販売証などもありますので付属品として一緒にお持ちいただけると査定額にプラスされます。他にものブランドのノベルティがあれば更に査定額のアップが期待できます。
一緒にお持ちいただけるとで査定額のアップが期待できるもの。
★ギャランティカード
★保存袋や外箱
★ブランドのノベルティグッズ
有名百貨店では人間国宝や文化勲章受賞の作家、その当時に注目されていた作家や人気の高い作家の個展を行っていました。それぞれの作品には専用の木箱が用意され作品名や作家のサインが書かれています。これを「共箱」といいます。共箱は作品を運搬する際の保護にも必要ですし、作家直筆のサインもありますので価値のあるものです。 また、個展ではカタログが発行されていることが多く、もしあれば一緒にお持ちいただくことで査定額のアップが期待できます。
一緒にお持ちいただけるとで査定額のアップが期待できるもの。
★共箱、共布、解説書
★個展のカタログ
★百貨店の領収書や販売証など
引っ越しの整理で見てもらいたい物が結構あり、近所でしたが出張買取のお願いをしました。実際、高価な物や骨董品と呼べる物もなく、捨てていいものかどうかもわかりませんでした。鑑定士さんはアッという間に見てくれ「こちらは金なので買取出来ますよ」とのこと…。メッキと思っていたものが金だったり、金歯が売れるとも知らず危なく本当に捨ててしまうところでした。丁度、金が値上がりした時だったらしく予想以上の金額で買っていただきました。お蔭様で引っ越し代の負担が大幅に減りました。
指輪をする機会もほとんど無くなったので、「高かったら売ってもいいかな」と考えていました。そんな頃に、折込で入ってきたくらやさんのチラシが目に留まり、それがきっかけでネットでくらやさんのHPや札幌の口コミを見てお伺いさせていただきました。品物によって査定する場所を分けているのは、他のお店では見たことが無かったので面白いなぁと思いました。鑑定書はありませんでしたがサイズを測ったり光を当てたりして、しっかり見てくれ説明もちゃんとしてくれたのでとても安心しました。金額も納得でしたのでとても良かったです。
ハワイで購入したもので結局ほとんど使わずに眠っておりました。このまま眠らせて価値が下がるのも嫌だったので、近くに新しくできた『くらや』さんに持ち込みました。かなり頑張ってくれたので満足です。とても気さくな方だったので、話しやすく気持ちの良いお取引をさせていただきました。
実家近くに新しい店が出来て気になっていました。今ではあまり使わなくなったロレックスですが、リューズの締め込みが出来ず、文字盤の劣化やその他に傷も多数ありましたが高く買ってもらいました。査定の方は話しやすく詳しく説明してくれました。遺品整理など今後は店選びで迷うことはなさそうです。また来ます!
よくある質問
買取させて頂いたお品物の返品は、誠に申し訳ございませんがお受けできません。
キャンセル料金は頂いておりません、お気軽にご相談ください。
対応致します。ご連絡を頂ければ予定変更は可能ですのでお気軽にご連絡ください。
出張買取をさせて頂いたお品物はクーリングオフが適応致します。買取日から8日間以内にご連絡を頂ければ返品の対応を致します。
対応致します。お気軽にご相談ください。
対応致します。出張料金は無料ですので、お困りの際はお気軽にご相談ください。
お問い合わせ
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北海道は、周りを太平洋・日本海・オホーツク海に囲まれる日本最北端の島です。その雄大な土地は九州と四国を合わせたよりも広い面積を持っており、オーストラリアとほぼ同じ面積とされています。日本人口の約4.6%を占めている北海道の人口は、東京都・神奈川県・大阪府などに続き全国8位です。
冬や雪といったイメージが強い北海道には、中央部に〈北海道の屋根〉と呼ばれる天塩山地・北見山地・石狩山地・日高山脈が走っています。気候は全体的に低温で、最低気温が0度未満になる日は年間135日ほど、年間平均気温は10.0度程度です。梅雨がなく台風も滅多に上陸しません。
北海道の道庁所在地である札幌市は、人口195万人余りを擁した政令指定都市。次いで旭川市・函館市・釧路市なども人口の多い主要都市です。札幌市の近くには北海道の空の玄関口〈新千歳空港〉があり、日本初の24時間運用を行っている空港としても知られています。
2005年に世界自然遺産として登録された知床は、希少な動植物の生息地として有名です。植物では固有種の〈シレトコスミレ〉や〈チシマコハマギク〉などが生息し、鳥類では〈シマフクロウ〉や〈オオワシ〉〈オジロワシ〉が見られます。他の都府県にはあまり見られない広大な自然や独自の文化を有している北海道ですが、これらが確立されるまでには波乱の歴史もあったのです。
新政府軍と旧幕府軍による内戦〈戊辰戦争〉が勃発したのは1868年のこと。鳥羽・伏見の戦いで始まり、翌年五稜郭の戦い(箱館戦争)で勝利をおさめたのは新政府軍でした。これにより明治政府が誕生することとなります。
明治時代初期に行われた倒幕運動や近代化政策〈明治維新〉に伴い、1869年に〈北海道〉と改称された蝦夷地。日本の一部として明治政府による本格的な統治と開拓がなされたことにより、アイヌ民族固有の文化や習慣の多くが失われていきました。同年には石狩国・渡島国・十勝国など11国86郡に北海道開拓使を設置され、アイヌ民族は正式に日本の国民に組み込まれることとなります。
政府によりアイヌ民族の生活習慣や言語は事実上禁じられましたが、現在でもアイヌ語が語源となった地名などは北海道に多く見られます。例えば札幌・小樽・知床・富良野・室蘭・登別・洞爺・宗谷。アイヌ語に由来する北海道の市町村名は、約8割にもなるのだとか。
開拓使の設置の他に、屯田兵制度の制定や札幌農学校・網走刑務所などの開設が急ピッチで進められました。網走刑務所は、映画〈網走番外地〉シリーズの舞台になったため知名度も高いです。また、北海道開拓史に招聘され、札幌農学校の教頭に就任したクラーク博士のブロンズ像は、さっぽろ羊ヶ丘展望台で見ることができます。
北海道は、アイヌ民族の伝統的な文化だけでなく、東北・北陸地方など各地の文化も融合して発展を遂げた日本で唯一無二の土地。ブランド総合研究所による都道府県の魅力度ランキングでは、2020年まで12年連続で1位に輝き続けています。
札幌市に次ぎ、北海道で2番目に人口を有する旭川市。大雪山連峰に囲まれ、石狩川と多くの支流が合流する肥沃な盆地が広がっています。
旭川市は明治23年(1890年)の開村から今年で131年。屯田兵による開拓や鉄道の開通など、都市経済の基盤を作ってきた先人たちの尽力により発展を遂げてきた地域です。
旭川市を含む上川地方では、14世紀前後から先住民族であったアイヌによる文化が形成されました。今も存在する神居古潭(かむいこたん)はアイヌ語が語源とされている地名で、旭川八景の一つに選定されています。
明治初期、和人として初めてこの地域に居住したとされているのが鈴木亀蔵という人物です。秋田からアイヌとの交易を目的としてやってきましたが、〈亀吉〉の愛称でアイヌの人々に親しまれていたのだそう。石狩川には大きな中洲が多くあり、そのうちの一つに鈴木亀蔵が住みついたことから〈亀吉島〉と呼ばれるようになりました。現在の旭川市亀吉という地名は、これが由来です。
また、道内2位となる作付面積と道内1位の生産量を誇る〈米どころ〉としても知られている旭川。厳しい寒さと、大雪山連峰の地下を流れるミネラル豊富な軟水が高品質な農産物を育むため、米だけでなく地酒やラーメンなども評判です。旭川市内には150軒以上のラーメン店がしのぎを削っており、名だたる有名店がひとつの施設に集結した〈あさひかわラーメン村〉は観光客も多く訪れます。
また、動物の行動展示が見所の〈旭山動物園〉は、全国から注目を集める人気の観光地です。1967年に開園した日本最北に位置する動物園で、国内のみならず外国人観光客からも人気を博しています。
北海道でも有数の観光街である旭川市は、北国の雄大な自然と都市が融和する美しい町です。
富良野市は、北海道のほぼ中心に位置する〈へそのまち〉。旭川市の南隣に位置しており、周囲をぐるりと山に囲まれた富良野盆地は内陸性気候が特徴です。年間を通した気温の寒暖差が大きく、夏は30度を超える日がある一方で冬は-30度になることも。
東の十勝岳山麓は畑作に、西の芦別岳山麓と富良野川流域に広がる土地は水田耕作に適した農業の町です。
富良野への入植が始まったのは明治30年のこと。明治33年に旭川~下富良野間、大正2年には滝川~下富良野間で鉄道が敷設され、旭川・滝川・帯広方面をつなぐ拠点となりました。
冬のスポーツレクリエーションやリゾート地として富良野が発展をみせたのは、終戦後の昭和後期です。昭和50年の第30回冬季国民体育大会や、昭和52年のFISワールドカップスキー大会の開催地となったことから、富良野は〈スキーのまち〉と呼ばれるように。また、ドラマ〈北の国から〉の舞台となったことでラベンダー畑などにも注目が集まり、一躍全国的な観光ブームを巻き起こしました。
富良野市は、世界的にも優れた雪質と、豊かな自然と地形が生み出す良質な農産物が魅力の町です。
人口約2万人を擁する深川市は、石狩平野の最北部に位置する都市です。南部を除く三方が山に囲まれており、市中心部を東西に石狩川が流れています。
明治22年に、現在の国道12号(札幌~旭川間)である上川道路が開通し開拓が始まった深川市。その後農業開発や屯田兵開発による畑の開墾も始まり、大正元年から5年にかけては人力で大正用水が掘られました。隣接する4つの町村が合併し、深川市となったのは昭和38年のことです。
石狩川と雨竜川を中心に両翼に広がった土地は、その肥沃な土壌と恵まれた気象により道内有数の稲作地帯となっています。〈ななつぼし〉や〈ふっくりんこ〉など北海道を代表するブランド米が高い評価を受けていることでも有名です。また、隣接する旭川市や幌加内町と並び蕎麦の生産も盛んに行われており、生産量は国内第2位を誇ります。
旭川と滝川のちょうど間にある〈戸外炉峠〉は、ジブリ作品トトロを題材にした観光スポット。国見峠や石狩川を望める絶景を堪能することができ、また夜になると、北斗七星を象った街灯が織りなす夜景を見ることもできます。
特別豪雪地帯に指定されている深川市ですが、除排雪事業にも力が入れられており、都市圏からの移住者も多く暮らしやすい町です。
夕張山地の北部の大部分を抱え、全国でも有数の面積を誇る芦別市。嘗ては石炭産業で栄え、人口は7万人を超えていましたが、現在は観光産業に力を入れている人口約1.3万人の町です。地名は市の南北に貫流する芦別川に由来し、市域の約9割は山岳・森林地帯となっています。
昭和63(1988年)に当時の環境庁によって〈星空の街〉に認定された芦別の夜は、街灯が少なく北国の美しい星空を見るのに最適。豊かな森林が育む澄んだ空気と、周辺の光を遮断するように囲む山々が作り上げる環境は、いわば天然のプラネタリウムです。〈滝里湖〉〈上金剛山展望台〉〈カナディアンワールド公園駐車場〉は星空スポットとして評判で、夏の夜にのんびりと楽しんだり、冬の夜には眩いばかりの星が堪能できます。
また、芦別市の名物といえば〈ガタタン〉です。ガタタンは芦別だけで受け継がれてきた、具沢山のとろみのあるスープ料理。戦後の炭鉱が盛んだった時期、坑内での厳しい仕事を終えた労働者の冷えた体を温めていたガタタンは、閉山と共に提供する店が減ってしまいました。しかし平成に入ると、郷土の味を守るべく立ち上がった芦別市民の尽力によりガタタンは市内の中華料理店で復活します。その知名度は全国区とは言えないと思いますが、これを目当てに訪れる観光客もいるほど。
都市部の喧騒から逃れ、雄大で牧歌的な時が流れる芦別市。富良野や美瑛の丘にも負けない、北海道ならではの風景が楽しめます。
北海道の中心都市、札幌と旭川のちょうど中間にある滝川市。市の西部には石狩川、南部には空知川が流れ、近年では石狩川の河川敷にグライダー飛行場を建設しました。
空知地方の中心都市である滝川市は、1987年(昭和62年)に放送されたNHK朝の連続テレビ小説〈チョッちゃん〉の舞台となったことでも有名です。
滝川市の歴史の始まりは、北海道庁令第1号により滝川村戸長役場がおかれた明治23年のこと。同年に屯田兵440戸が入植し、開拓が進められました。屯田兵の往来と生活物資の供給で栄えた滝川は、水害被害などにより一時的に退勢を見せるも、昭和以降産炭地からの物資輸送が活発になったことで発展の礎を築きます。
作付面積日本一を誇る菜の花畑は、〈幸せ色の丘〉を舞台に行われる滝川市の観光名所です。〈北海道感動の瞬間100選〉にも選ばれ、例年5月に開催されるイベント〈たきかわ菜の花まつり〉への来場者数も増加している、今注目のスポットと言えます。
ジンギスカンは、2004年(平成16年)に北海道遺産に選定された北海道を代表する郷土料理のひとつ。ジンギスカンには〈札幌式〉と〈滝川式〉といった食べ方があり、地域によって食し方が異なるのです。滝川市に本店を置く松尾ジンギスカンは、滝川式のジンギスカンの普及に一役買い、今では北海道のみならず全国で親しまれるようになりました。
観光名所などで取り上げられる機会はあまりない滝川市ですが、航空管制の制約も少ないためスカイスポーツが盛んな町です。グライダーによる町おこしにも今後期待が寄せられます。
士別市は北海道上川地方北部にある市で、旭川市の北部に位置しています。内陸の盆地であるため、北海道の内陸の他都市と同様に年間を通して寒暖差が非常に激しい地域です。
道内に同じ読みの標津(しべつ)町があるため、ラジオなどでは〈サムライ士別〉と呼ばれます。サムライの由来は、士別の〈士〉が武士の〈士〉だからです。
1899年(明治32年)、屯田兵制度最後となる兵村が置かれ約100戸が入植。農業の集散地として発展した士別には、今も多数のレンガ造りの農業倉庫が残されており現役で使用されています。
士別市では、観光や町興しのために約1100頭のサフォークという種類の羊が飼われていることでも有名です。〈羊のまち〉とも呼ばれています。観光放牧のほか、羊毛製品の生産や羊肉を使った士別オリジナルの料理が楽しめるのも魅力のひとつです。
畜産業が盛んな士別市は、広い牧草地では羊を育て、丘の麓では特別栽培による野菜やハーブが作られています。〈世界のめん羊館〉〈羊と雲の丘〉は観光名所となっており、ふれあい体験やサフォークラムを使用した料理が楽しめるでしょう。
また、冬タイヤのテストコースがあることでも知られています。ミシュランのスタッドレスタイヤが当地で開発されたことから、〈スタッドレスの聖地〉などと呼ばれることも。
士別市は、道立自然公園〈天塩岳〉をはじめ、北海道第2の大河と言われる〈天塩川〉の源流域を有した緑豊かな田園都市です。
赤平市は、北海道中部の空知川流域に位置する市で、空知川沿いに市街地が広がっています。かつては夕張市を筆頭に上質な石炭の取れる地域でした。石炭産業で栄えた1960年頃は約6万人の人口を擁していましたが、1994年には全ての炭鉱が閉山してしまった結果、2019年には人口が1万人を割り込んでいます。
働く場を失った炭鉱労働者のため、赤平市が精力的に行った活動が企業誘致です。現在では、多くの有名なものづくり企業を抱える〈ものづくりのまち〉として生まれ変わりました。
また、全国の炭鉱施設が取り壊されていく中で、巨大な赤平の炭鉱施設は一部がそのまま残されていることも特徴です。〈立坑やぐら〉と呼ばれる運搬施設は今〈炭鉱遺産〉と呼ばれ、注目されつつあります。
ふるさと創生事業のひとつとして平成2年に設けられた〈ズリ山階段〉は、赤平市の観光スポットです。1973年に閉山した旧赤間炭鉱のズリ山に作られた階段は、全長583.9m。777段の階段は日本一のスケールを誇り、頂上からは暑寒別岳や十勝岳などが一望できます。
赤平市と歌志内市を結ぶ道路を下ったこの場所には、明治の詩人〈国木田独歩〉が訪れた地として石碑が建てられています。ここは空知川の四季折々に美しさが楽しめる景勝ポイントです。
現在移住定住の政策に注力しながらも、炭鉱などの歴史遺産をしっかりと守り後世に伝えていく、これこそが赤平市の持つ魅力と言えるでしょう。
北海道北部に位置し、天塩川と名寄川の合流点にある名寄市。夏と冬の寒暖差が約60度ありますが、気候は年間を通して比較的穏やかで地震もあまり発生しません。空気中の水蒸気が凍って出来る〈ダイヤモンドダスト〉や、太陽光が反射し光の柱のように見える〈サンピラー現象〉が名物の町です。
名寄市付近は、縄文時代から人類が居住してきた地域であったと考えられています。またアイヌ民族が居住してきた地域でもあり、精霊〈コロポックル〉の民俗伝承が残る地域です。
名寄市では全国的にも珍しい〈名寄の冬を楽しく暮らす条例〉を制定し、寒さ厳しい冬をスキーやカーリング、スノーランタン作りなど様々なイベント開催等の取り組みを行っていることでも知られています。市と市民が一体となり、雪や寒さを生かして快適な冬を過ごせるように工夫がなされているのです。
天体観測ができるなよろ市立天文台〈きたすばる〉を始め、芝桜やひまわり畑が眺望できる〈ふうれん望湖台自然公園〉、ウィンタースポーツを楽しめる〈ピヤシリスキー場〉などが観光スポットとなっています。
もち米の作付面積と生産量が日本一とされる名寄市は、雪質日本一も掲げている町です。パウダースノーよりさらにきめ細かいシルキースノーも、名寄の名物と言えます。
アイヌ語で〈静かなる川〉を意味する〈ルルモッペ〉が地名の由来とされている留萌市。ニシン漁とともに発展を遂げ、現在もかずの子などの水産加工業が盛んです。
江戸時代まではアイヌと日本人が混在しており、明治期はニシン漁の北上に伴い日本人の村が市内に点在していました。北海道の日本海側においては、小樽に次ぎ発展したとされる留萌。東北などからニシン漁に従事する短期間労働者が数万人滞在していたこともあり、大きな栄華を誇りました。
大正期には大和田炭鉱や浅野炭鉱などが発見され栄えることとなりましたが、ニシン漁の衰退や相次ぐ炭鉱の閉山に伴い1960年代以降は人口の減少も顕著でした。
留萌の観光スポットとして挙げられる〈黄金岬〉は、元々はニシンの群来をより早く見つけるための場所だったのだそう。陽光を浴びたニシンの姿が海面で黄金色に輝いていたことが地名の由来で、ここから見える夕陽は日本でも屈指の景色だという評価もあります。
晴れた日には利尻富士をも展望できる〈千望台〉や、留萌管内唯一の温泉である〈神居和温泉〉なども観光スポットです。アイヌの人々は、その昔この地をカムイトムブリ(神の泉)と呼んでいたのだとか。この温泉には傷や病の治癒力があるとされ、泉源に祭壇を設け伏し拝んだと言われています。
留萌市は、〈世界三大波濤〉に選ばれたほどの力強い荒波と、日本海に沈みゆく夕陽が美しい町です。