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骨董品
2018/11/29

黒田清輝【帝室技芸員/画家】

黒田清輝(くろだせいき)

 

黒田清輝は、1866年に鹿児島市で

 

薩摩藩士の黒田清兼の家に生まれました。

 

そして幼少の頃から細田季治に学び

 

鉛筆画や水彩画を習得します。

 

やがて東京外国語学校を卒業すると、

 

1884年から1893年までフランスへ留学しました。

 

当初は法律の勉強の為の渡仏でしたが

 

パリで画家の山本芳翠、藤邪三などとの交流から

 

画家に翻意し、ラファエル・コランに師事します。

 

その後25歳の時から、フランスの展覧会で

 

「読書」、「朝妝」を出品し入選。

 

帰国すると、1894年に久米桂一郎と

 

「天心道場」を設けて洋画研究に没頭しました。

 

1896年には白馬会を発足し、

 

同年に東京美術学校に西洋画科が新設され

 

教授に就任しています。

 

また、1905年から1920年までは

 

東京高等商事学校の講師を兼任し

 

フランス語を教えました。

 

これらの功績が認められ、1910年、44歳のときに

 

黒田は洋画家として初めて帝室技芸員になり、

 

帝国美術院の院長なども歴任しました。

 

1920年には貴族院議員にも就任しています。

 

 

 

黒田清輝の作品の特徴と技法

 

黒田清輝の作品は、フランス留学中に師事した

 

画家ラファエル・コランから教わった

 

アカデミックな教育精神をベースとして、

 

外光を採り入れた

 

印象派的な表現を生かした絵画が特徴です。

 

日本では用いられなかった「外光表現」は

 

自由主義的な精神と思想と共に

 

日本に多大な影響を与えました。

 

「智・感・情」、「昔語り」などの

 

アカデミズム的な「構想画」の制作にも試み

 

西洋絵画の沈着に尽力しました。

 

 

 

黒田清輝の評価される所以

 

黒田清輝は、近代日本美術史に

 

多大な功績を残した画家でした。

 

その美術活動の範疇は画家だけにとどまらず

 

教育者、美術政治家としての顔も

 

持ち合わせています。

 

黒田は近代国家が形成されていく中で

 

自由な視点で作品を制作し、

 

また美術界の制度作りにも貢献しました。

 

また、黒田清輝の遺産は

 

美術振興に役立てるように遺言されており、

 

黒田記念館が建設され、館内には

 

黒田清輝の遺作を展示する記念室が設けられました。

 

帝国美術院附属美術研究所も同館に設置され

 

東京国立博物館によって管理、維持されています。

 

 

 

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