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太田儔【人間国宝/蒟醤】

太田儔(おおたひとし)

 

太田儔は1931年に岡山県で生まれました。

 

岡山大学に入学すると磯井如真に師事し

 

蒟醤の技法を学びます。

 

太田は竹を編んだ素地に漆を幾重にも塗り

 

彫刻刀を使って文様を彫り込み

 

その文様に色漆を埋めて研磨する

 

「藍胎蒟醤」の研究に没頭しました。

 

その後も独自に研究を重ね、「二重編み藍胎」

 

「布目彫蒟醤」などの技法を創案しています。

 

34歳で日本伝統工芸展に初入選すると

 

以後も同展に出品し続け、1950年、56年には

 

文部大臣賞を受賞しました。

 

1958年に香川大学の教授に就任。

 

そして1994年、63歳の時に「蒟醤」の分野で

 

重要無形文化財保持者に認定されています。

 

 

 

太田儔の作品の特徴と技法

 

太田儔が手掛ける「蒟醤」は

 

漆芸における装飾技法で

 

剣と呼ばれる彫刻刀で漆の表面を削り出し

 

色漆を埋めて研ぎ出して

 

文様を浮かび上がらせるものです。

 

また、長年取り組んだテーマに

 

「籃胎の研究」があります。

 

元々その技法は、竹ひごで編んだ籠状の素地に

 

漆が塗られることが多いのですが

 

太田儔は独自に考案した、内側を塗り、

 

ひごで編み、それに麻の畳糸を巻きつけ

 

漆を染み込ませ、外側にさらに二重に網代を編みこむ

 

「二重編み」の藍胎を考案しました。

 

太田儔がもう一つ、力を注いだ研究には

 

「蒟醤の彫りの研究」があります。

 

「布目彫り蒟醤」は1ミリ程の幅に34本の

 

細い線を彫る、線彫りを得意としていました。

 

絵画のような図案を忠実に再現できるように

 

その細く線彫りした縦、横、斜めの線に

 

筆で色を埋め色彩を重ねていきます。

 

その技法により、さらに蒟醤は自由で繊細な図柄と

 

色彩表現が可能となりました。

 

これらの技法を組み合わせ

 

素地の造形美と蒟醤の絵画的美しさで

 

新たな領域を確立していきました。

 

 

 

太田儔の評価される所以

 

太田儔が用いる蒟醤と呼ばれる技法は

 

江戸時代後期に編み出された技法です。

 

磯井如真が再現することに成功して

 

復活させましたが

 

その伝統的な蒟醤の技法だけではなく

 

新しく「布目彫り」や「蒟醤技法」を

 

編み出していった点が評価されています。

 

また、太田儔が考案した技法は

 

手間や時間が掛かるもので、年に23点程しか

 

制作できない大変貴重なものとなっています。

 

 

 

増村紀一郎【人間国宝/髹漆】

増村紀一郎(ますむらきいちろう)

 

増村紀一郎は、1941年に東京都に生まれました。

 

父は漆芸家の増村益城で

 

彼も人間国宝に認定されています。

 

増村紀一郎は28歳の時に東京芸術大学大学院

 

美術研究科漆芸専攻を卒業し

 

1982年に東京芸術大学美術学部の助手

 

その後同校の助教授や教授に従事しました。

 

また、同時に自身の制作活動も続け

 

51歳で発表した「乾漆朱漆鉢」はロンドンの

 

ヴィクトリア&アルバート・ミュージアムの

 

買い上げ作品となっています。

 

翌年には東京国立近代美術館・工芸館の

 

「塗りの系譜展」、その後も

 

ヴィクトリア&アルバート・ミュージアムでの

 

「ジャパニーズ・スタジオ・クラフツ展」や、

 

デンバー州立美術館や

 

ジャパン・ソサエティギャラリーには

 

招待作品を出品するなど

 

日本国内、海外でも積極的に活動しました。

 

さらに1988年には宮内庁の正倉院宝物

 

「漆皮御袈裟箱」の復元を作成するなどし

 

2002年に紫綬褒章を受章しています。

 

そして2008年、67歳の時に「髹漆」の分野で

 

重要無形文化財保持者に認定されました。

 

同年に春日部市民栄誉賞も受賞し

 

翌年は神宮に「乾漆葉盤」を奉納しています。

 

 

 

【増村紀一郎の作品の特徴と技法】

 

増村紀一郎の作品の特徴は

 

とにかくそのアイデアに富んでいる点です。

 

普通「乾漆」という技法は

 

麻を漆で幾重にも塗り固めて仕上げていきます。

 

しかし、増村紀一郎の作品はそれにとどまらず

 

その作品群はとても幅広いものになっています。

 

中には動物の皮に漆を塗った

 

「漆皮」という変わった技法もあります。

 

これはまず、乾燥させた動物の皮を水で戻して

 

木型に密着させます。

 

それを乾燥させて固まった状態で

 

木型から外して漆を塗ります。

 

こういった技法も含め、増村はあらゆるものを

 

漆芸で作品へと昇華させる、自由で

 

機知に富んだ作風を得意としています。

 

また、器などの作品は見るだけのものではなく

 

「実際に使ってもらうために作っている」

 

というスタンスで

 

作品を制作していると述べています。

 

 

 

【増村紀一郎の評価される所以】

 

増村紀一郎の作品には、見るものだけではなく

 

工芸を人間の生活の延長線上にあるものとして捉え

 

高い芸術性も意識しながらも

 

「用」としての作品を信念に

 

その触覚に至るまで大切にした

 

制作活動を行ってきました。

 

また、20数年在住した春日部市への貢献は

 

多大なものがあり、髹漆のみならず

 

芸術文化全般に寄与しています。

 

その長年の貢献から

 

春日部市市民栄誉賞を授与されました。

 

また、東京芸術大学大学院漆芸専攻を

 

修了した後には、漆芸研究室で

 

後進の指導に長きに渡り従事しています。

 

 

 

松田権六【人間国宝/蒔絵】

松田権六(まつだごんろく)

 

松田権六は、1896年に石川県の農家に生まれました。

 

7歳で仏壇職人であった兄の孝作から

 

蒔絵漆芸の技術を学び始め

 

18歳の時に石川県立工業学校を卒業し

 

東京美術学校漆工科に学びます。

 

卒業後には陸軍に入隊し、1921年に除隊しています。

 

そしてその年に、東洋文庫にて

 

朝鮮楽浪遺跡跡で発掘された

 

漆遺品の修復作業に携わりました。

 

29歳になると、六角紫水教授らの勧めで

 

株式会社並木製作所に入社し、喫煙用品や

 

万年筆などの漆工加飾作業を手掛けます。

 

1927年に並木製作所を退職すると

 

東京美術学校助教授や

 

帝国議会議事堂便殿(現御休所)の漆工事を

 

手掛けるようになり、漆芸師としての名を広めます。

 

47歳の時には東京美術学校の教授となり

 

1955年、59歳で「蒔絵」の分野で

 

人間国宝に認定されました。

 

また同年に、社団法人日本工芸会を設立し

 

理事に就任、1962年には理事長となっています。

 

その後、執筆活動も積極的に行い

 

著書「うるしの話」(岩波新書)を刊行

 

毎日新聞に「漆芸十話」の連載などを行います。

 

後進の育成にも尽力し、自身も設立に深く関わった

 

輪島市漆芸技術研修所の設立に伴い

 

現石川県立輪島漆芸技術研修所の講師に着任します。

 

78歳で勲二等瑞宝章を受章、

 

80歳で文化勲章を受章しています。

 

 

 

松田権六の作品の特徴と技法

 

松田権六の作品の特徴は

 

多彩な漆芸の技法を駆使して

 

加飾素材を最大限に活かした

 

華やかで豪奢な表現方法だと言えます。

 

その作品には、螺鈿や鎌倉彫などを駆使した蒔絵に

 

金粉や色漆がしばしば使われています。

 

幼少から学んだ加賀蒔絵などの

 

古代漆芸の影響を強く受け、それを踏襲しながら

 

新しい独自の技法も取り入れた

 

豊かで格調高い新境地の漆芸を切り開いています。

 

 

 

松田権六の評価される所以

 

松田権六がその華やかな作品を多く制作できたのは

 

地道な漆芸への修練の積み重ねによる所から

 

来ているといえます。

 

7歳の頃から蒔絵を始めたほか

 

自身の制作活動と共に36年間もの長きに渡って

 

後進の育成に尽力しています。

 

一方、文化財の保存にも力を注ぎ

 

国宝中尊寺金堂や正倉院の

 

保存修理などにも従事しています。

 

 

 

小森邦衞【人間国宝/髹漆】

小森邦衞(こもりくにえ)

 

小森邦衞は、1945年に石川県で生まれました。

 

20歳の時に和家具職人から輪島塗師に転身し

 

沈金の技法を学ぶ為、樽見幸作に師事しています。

 

そして1968年には

 

輪島市立漆芸技術研修所沈金科に入学しました。

 

そこでは蒔絵師の松田権六や

 

輪島塗沈金師の前大峰らに学びます。

 

さらに、卒業すると新設された髹漆科の聴講生となり

 

乾漆を増村益城、籃胎を太田儔、

 

曲輪を赤地友哉らから学びました。

 

1980年に日本伝統工芸会正会員になり

 

また、1986年、89年には日本伝統工芸展で

 

NHK会長賞を受賞。

 

その後も数々の展覧会で受賞を重ね

 

2006年、61歳の時に「髹漆」の分野で

 

人間国宝に認定されました。

 

 

 

小森邦衞の作品の特徴と技法

 

小森邦衞の「髹漆」の技法を施した代表的な作品は

 

籃胎(らんたい)と呼ばれる細かい竹を編み込んだ

 

網代の器といえます。

 

これは細く薄く削った真竹を編み込んで

 

網代を成形し、漆を塗り重ねた「籃胎」と

 

檜の薄板を曲げて環状にして漆を塗った

 

「曲輪」を組み合わせる技法を駆使しています。

 

木と竹の材質から生じる収縮率の違いを

 

巧みに読んだ職人の熟練した技が

 

作品の随所に織りこまれています。

 

表面が網目である為に均一ではない網代を

 

刷毛目を感じさせないなめらかな塗りに仕上げ

 

その微妙な凹凸が美しい文様となります。

 

その技には小森邦衞が和家具の職人をしていた頃の

 

のみやかんななどの扱いと、

 

木の性質を知り尽くしている経験が

 

活かされています。

 

また、伝統的に輪島塗は

 

分業化されていることが多く

 

木地作り、下塗り、研ぎ、中塗り、上塗り、加飾など

 

各工程に職種が分けられていましたが

 

小森邦衞はその全てをほとんど自身で

 

行っていることも特徴です。

 

こうして、初めて小森邦衞独自の

 

「髹漆」の作品が出来上がっています。

 

 

 

小森邦衞の評価される所以

 

小森邦衞は後進育成にも

 

とても熱心に情熱を傾けています。

 

日本全国から集まった弟子を育て

 

ただ単に輪島塗の一過程だけでなく

 

輪島塗の100近い多くの工程を全て出来るように

 

4年を掛けて独立を目指した

 

指導をしているといいます。

 

小森邦衞がこだわりを持って貫いてきた

 

一貫して輪島塗の作業を手掛けるという精神を

 

弟子たちにも伝えています。

 

 

 

中川衛【人間国宝/彫金】

中川衛(なかがわまもる)

 

中川衛は1947年、石川県にて生まれました。

 

実家は元々農業をしていましたが、

 

24歳で金沢美術工芸大学の産業美術学科を

 

卒業すると同時に、松下電工に入社します。

 

その後家庭の事情で実家に戻り、

 

農業を手伝う傍ら、石川県工業試験場にて

 

働くようになります。

 

故郷に戻る前はデザイナーとして働いていた

 

中川衛は、自身の経験を通した

 

地域貢献を考えていました。

 

そんな中であったのが、現代の加賀象嵌に

 

大きく貢献した、高橋介州です。

 

高橋介州からは加賀象眼について学び

 

1979年、日本伝統工芸展初入選したのを皮切りに

 

彫金家としての才能を見せ、2004年、57歳で

 

人間国宝として認定されています。

 

 

 

作品の特徴

 

中川衛の作品は

 

デザイナーとしての経験が活かされた

 

現代らしいスタイリッシュな雰囲気がある所が

 

特徴だと言われています。

 

高橋介州とは違う作風を模索していた中川は

 

鉄や赤銅、朧銀などを作品に使った事で

 

新しい加賀象嵌のスタイルを生み出し

 

話題となりました。

 

また平象嵌や鎧象嵌と言った

 

難しい技法を施している点も、

 

中川衛ならではの特徴と言われています。

 

 

 

加賀象嵌について

 

安土桃山・江戸前期に活躍した

 

大名の前田利長によって始まったと

 

言われています。

 

平象嵌の上から、糸状の金属を当て込む糸象嵌が

 

特徴と言われており、色金を使った鎧象嵌や

 

埋金と言った技法も使われています。

 

加賀象嵌は花瓶や香炉などにも用いられた

 

言わば嗜好品でしたが、技術者の減少や

 

高価であることで技術者の数は減り

 

第二次世界大戦が決定的となり

 

しばらく途絶えていました。

 

そこを復興させたのが、高橋介州などでした。

 

 

 

その他の細かい技法について

 

・赤銅

 

銅の中に0.3割ほどの金を入れた素材です。

 

硫酸銅やミョウバンの液で煮ると

 

黒がかった紫色へと変化します。

 

・朧銀

 

別名、四分一とも言われます。

 

銅を3割、銀を1割使った素材のことで

 

器物の蒔絵にも使われる梨子地で

 

光沢を消す技法の事も指します。

 

・平象嵌

 

金属や陶磁器などの素材に

 

別の素材を当て込む技法を指します。

 

 

 

加賀象眼を後世に伝える中川衛

 

中川衛は現在、作家として活動しながら

 

金沢美術工芸大学工芸科で非常勤講師として

 

勤務しています。

 

また金沢市制百周年記念事業として

 

1989年に立てられた

 

金沢卯辰山工芸工房でも指導しています。

 

加賀象眼の技術を多くの人に伝え

 

後進の育成にも励んでいます。

 

 

 

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