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水戸駅前店
2022/09/27

茨城県水戸市 骨董品の買取|明治工芸|旧家 土蔵に眠る古物鑑定します

12:00 am

はじめに

こんにちは。骨董品や古美術品の査定・買取を行っている買取専門『くらや水戸駅前店』です。茨城県水戸市で金工品や陶磁器、伝統工芸品などの買取を希望される方は、是非一度『くらや水戸駅前店』へご連絡ください。骨董品に関する専門の知識を持ったプロの鑑定士が、ひとつひとつ丁寧に査定します。

 

とりわけ遺品整理など、ご自身で蒐集したものではない骨董品を発見した際、多くの方が「果たして金額など付くのだろうか…」と不安に思うでしょう。古物には底知れぬ価値が潜んでおり、骨董品に精通した鑑定士が見れば驚くべき価値が見出されるかもしれません。

 

まず初めに、先日出張買取で出合った骨董品についてご紹介したいと思います。家の建て替えを控えているお客様からのご依頼で、床の間に飾られていた〈銅器置物〉を査定してほしいとのことでした。

 

昔から家に置かれていたこの銅器置物は、御祖父様のお気に入りだったのだとか。大きく重厚な置物は、新しく建て替える家には合わないのでは…と悩んだ末、手放すことを決意されたそうです。

 

細部に装飾が施された銅器の足の部分には、丹頂鶴が2羽と亀が配置されていました。細密な造形の優品であることは一目瞭然。作家名が刻まれていたので調べてみたところ、明治期に活躍した人物であることが分かりました。状態も良かったため高価買取をすることができ、お客様もご満悦の様子でした。

 

さて、今回は明治期に生み出された日本の至宝〈明治工芸〉にスポットを当ててお話ししていきたいと思います。高評価間違いなしの有名作家などもご紹介していきますので、ご売却を検討されている方は是非最後までお付き合いください。

明治工芸

先にも登場した〈銅器〉の制作技術は、戦乱のない太平の世となった江戸時代に、甲冑や刀剣などを手掛けていた職人達によって編み出されました。徳川将軍家による幕藩体制下においては、刀装具や調度品を手掛けるお抱えの職人達が数多くおり、その技術は競うように磨きをかけられていったのでした。

 

ところが、幕藩体制の崩壊と激動の明治維新を契機に、藩に召し抱えられていた金工師や蒔絵師はその後ろ盾を失ってしまいます。つまり、それまでに培ってきた技術を発揮する場がなくなってしまったのです。

 

そこで着目されたのが、茶器や香炉、花瓶などといった工芸品・民生品の分野です。元々高い技術を持っていた職人達がつくる作品は、どれも高級美術品に引けを取らない逸品。それゆえ、武家や大名といった時の権力者達に好まれるようになっていきました。

 

江戸時代後期になると、写生、写実の追求が色濃くなり、その結果芸術性の高い作品が数多く登場します。明治時代に入ると更に技術が向上し、美術的価値がより強く求められるようになりました。これが後に世界をも魅了することになる〈明治工芸〉の始まりです。

 

当時の日本には、現在の様な工業製品がありませんでした。そこで明治政府は、外貨を獲得すべく工芸作品の輸出を試みます。日本の工芸技術を世界へ送り出すと同時に、万博への出品を重ね、その結果明治工芸は欧米諸国の人たちを魅了したのでした。

 

そして、1894(明治27)年の日清戦争、1904(明治37)年の日露戦争と歴史上にも残る大きな有事が続いた明治末期。工芸分野で活躍していた優秀な人材の多くが工業界へ取り込まれ、明治工芸は一気に衰退してしまいました。

 

この様な背景がある上に、明治工芸は現代の技術をもってしても再現が難しいと言われています。優品の多くは国外へ流出し、その存在を知らないという日本人も多い今、国内に残存している明治工芸の作品は大変希少な存在なのです。

超絶技巧!伝統の技と有名作家

明治工芸には、〈金工〉〈七宝〉〈漆工〉〈陶磁器〉〈牙彫〉など、多岐にわたる分野の工芸品が存在します。どれも緻密で繊細な細工が施されているものが多く、その技術の高さは〈超絶技巧〉などと呼ばれることも。

 

ここからは、それぞれの歴史や代表的な有名作家についてお話ししていきましょう。

金工

日本の金属工芸の原点は、日本刀の〈鍔〉であるとも言われています。鍔(つば)は日本刀の柄(つか)と刀身の間に挟まれている金具のことで、時代が進むにつれ様々な意匠が凝らされるようになっていきました。

 

明治金工は、僅か30年程度という短い期間に制作された希少な美術品。当時の彫金技術や多彩な象嵌はあまりに緻密で美しく、人間業とは思えないほど高度な完成度を誇ります。

 

明治期に活躍した金工師としては、〈加納夏雄〉〈正阿弥勝義〉〈海野勝珉〉が挙げられます。1876(明治9)年に交付された廃刀令以降、廃業を余儀なくされた金工師が溢れていた中で、彼らには制作依頼が絶えなかったと伝えられています。

七宝

七宝(しっぽう)とは、金、銀、銅など金属製の素地の上に、色ガラスの粉の釉薬をのせて800度前後で焼成した工芸品です。美しい色彩と光沢から、仏教典では七種の宝石(金・銀・瑠璃・玻璃・珊瑚・瑪瑙・しゃこ)に例えられています。

 

七宝は紀元前3000年頃にエジプトで発祥したと言われており、中世にはキリスト教の聖具に使用されていたこともあったようです。日本においては、奈良県の古墳から出土した亀甲型七宝金具が最古と言われています。

 

明治期以前の七宝は、〈泥七宝〉などと揶揄されるほどのっぺりとした、あまり光沢がないものでした。日本国内でも透明度の高い釉薬が開発された明治期以降は、有線七宝の〈並河靖之〉、無線七宝の〈濤川惣助〉、尾張七宝の〈安藤重兵衛〉などといった名工が登場します。

 

明治末期頃から大正初期にはより高度な技術を持つ作家も増え、後に珠玉と持て囃されるような作品が生み出されました。精巧で色鮮やかな図柄は、欧米の愛好家を中心に高く評価されていたようです。

漆工

漆工は、器の表面に幾重もの漆を塗り重ね、様々な装飾を施す伝統工芸です。日本においては、縄文時代の初期頃には既に漆器が存在していたのだそう。かの有名な仏像彫刻〈阿修羅像〉などは、漆と布だけでつくられています。

 

漆工には、蒔絵や螺鈿など様々な装飾方法があるのも特徴です。1873(明治6)年のウィーン万博でも多くの漆芸品が出品されましたが、中でも金色の豪華な蒔絵が施された作品などは、日本の漆工芸品が改めて評価されるきっかけとなりました。

 

明治期に活躍した代表的な蒔絵師には、〈柴田是真〉〈池田泰真〉〈川之邊一朝〉〈白山松哉〉など、錚々たる顔ぶれが並びます。

陶磁器

七宝や漆工芸品と同様、陶磁器もまた欧米へ向けて多く輸出されました。明治期に制作された陶磁器は、日本の陶芸史上最も重要な位置付けであると言っても過言ではないでしょう。

 

写実的でありながら豪華な作風は、当時の欧米の人々にとっては目新しく映りました。日本から送り出される陶磁器はジャポニズムの気運を一層盛り上げ、世界の陶磁器に多大な影響を与えたのでした。

 

輸出品として奨励された〈九谷焼〉は、いわゆる〈ジャパン・クタニ〉の名で世に広まります。明治20年頃には日本の輸出陶磁器の筆頭に立ち、香炉や飾り皿をはじめ、カップ&ソーサーなどが数多く制作されました。

 

1867(慶応3)年のパリ万博に出品され好評を得た〈薩摩焼〉も、明治工芸を語る上で忘れてはならない存在です。細密で豪華絢爛な図柄が目を引く薩摩焼は、ヨーロッパの人々にとっても衝撃的だったのでしょう。フランスにおいては、2007(平成19)年に薩摩焼パリ伝統美展が開催されています。

 

茨城県出身で日本の近代陶芸の開拓者である〈板谷波山〉、真葛焼の創始者〈宮川香山〉、薩摩焼の〈藪明山〉などは、明治期に活躍した代表的な陶芸家です。欧米で人気を博した藪明山の作品は〈明山焼〉〈明山薩摩〉などと呼ばれ、国内外の万博で多くの賞を受賞しています。

牙彫

牙彫(げちょう)とは、動物の牙、主に象牙を用いた細工物のことです。中国における象牙彫は約7000年前を起源としており、その技術は職人達によって脈々と継承され、現在も絶えず技術革新をしています。

 

日本における象牙彫は、江戸時代に高まった根付や三味線の撥(ばち)の需要とともに、工芸品としての地位を確立。その後大正から昭和初期にかけ、後世に残るような名品が数々誕生しました。

 

牙彫を得意とした有名作家としては、〈旭玉山〉〈石川光明〉〈安藤緑山〉などが挙げられるでしょう。旭玉山の〈髑髏〉、石川光明の〈野猪〉、安藤緑山の〈竹の子に梅〉などといった代表作は、どれも写実的でずば抜けた描写力もって生み出された牙彫作品です。

 

1873(明治6)年のウィーン万博をきっかけに日本の牙彫作品は欧米で高い評判を呼び、その結果多くの名品が海外へ輸出されてしまいました。

 

この他にも、明治工芸には〈自在置物〉〈木彫〉〈陶磁〉〈刺繍絵画〉などといった分野もあります。これらについてのお話は、またの機会に…。

高評価となるポイントは?

精巧かつ豪華絢爛な作品が多く生み出され、国内外にコレクターも多く需要が高い明治期の工芸品。本体の材質、施されている細工などは鑑定士がチェックする重要な査定ポイントです。複数の金属が使われている作品や、多色の仕上がりになっている作品は高評価が期待できるでしょう。

 

また、これまでのお話の中で挙がってきたような有名作家の作品は、世界中のコレクターにとって垂涎の逸品。前項で挙げた、並河靖之・濤川惣助・正阿弥勝義・加納夏雄・海野勝珉・旭玉山・石川光明・安藤緑山・柴田是真・池田泰真・川之邊一朝・白山松哉のほか、〈村上盛之〉〈塚田秀鏡〉なども明治期に活躍した代表的な作家です。

 

「実家で見たあの陶磁器、もしや明治工芸なのでは?」「代々受け継がれているこの置物、細工が緻密で見るからに手間がかかっていそう…」など、価値が気になる工芸品をお持ちの方は、骨董品に精通した鑑定士が在籍する『くらや水戸駅前店』で一度査定してみませんか?

 

査定時には〈作品の状態の良さ〉も大切なポイントとなるのですが、骨董品の場合は注意が必要です。古く繊細なものが多い骨董品は、無理なお手入れや補修はせずそのままの状態で鑑定士にお見せください。

 

また、作品が納められている箱や布なども重要な評価ポイントです。付属品は揃っていればいるほど高評価に繋がります。ご来店の際には、是非ご一緒にお持ちください。

まとめ

明治時代に活躍した職人達の技術力には、本当に驚かされます。限られた材質や制作環境の中で、超絶技巧と呼ばれるまでに技術を高めていった日本の職人達。彼らが生み出した名作を海外から取り戻すべく、現在も様々な努力が行われています。一方、これを実現するためには莫大な費用と時間が必要であることもまた事実です。

 

『くらや水戸駅前店』では、〈明治工芸〉をはじめとした骨董品全般の査定・買取に自信があります。骨董品に多く触れ、真贋判定を多く積み、買取経験を豊富に持つプロの鑑定士が在籍する『くらや水戸駅前店』は、お客様の大切な骨董品の価値を見逃しません。

 

当店の鑑定士が直接お客様のご自宅等へお伺いし、査定から買取までを一貫して行う〈出張買取〉もご好評をいただいたております。「この部屋にあるもの丸ごと見てほしい」「価値があるものとそうでないものを仕分けてほしい」という方は、是非ご相談ください。

 

査定・相談・出張費用は全て無料です。お客様のご来店・お電話を、心よりお待ちしております。

 

 

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